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配下にするなら三成♪戦国能吏の真髄を学べる『石田三成伝』が骨太だ

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豊臣政権の政策や外交も読み取れる

三成の動向を一次史料から読み解いていくことで、豊臣政権の政策や外交が読み取れるというのも驚異的です。

北は陸奥から、南は九州まで。

そして海を越えては朝鮮や明とまで、三成は様々な実力者と交流しています。

こうした重要な役目を、二十代の青年期から三十代にかけてこなしていたというのは、三成の能力がいかに高かったかということではないでしょうか。

フィクションでは無愛想で冷徹に描かれることが多い三成ですが、一次史料にみられる大名らとの細やかなやりとりを見ていると、そうは思えません。

むしろ細やかなところまで気がつくできた人という印象を受けます。

これはあくまで個人的な感想ではあるのですが、三成が嫌われたのも、慕われたのも、同じ理由ではないかと思うのです。

ここまで重責を背負い、様々な大名との交渉を行っていれば、その過程で感謝されることもあれば、恨まれることもあるわけです。

三成経由で豊臣政権と交渉して成功した大名からすれば「よくできた方だ、感謝している」となるでしょう。

反対に要求を通せなかった大名からすれば「あいつが余計なことを吹き込んだのではないか? 手を抜いたのではないか?」と疑心暗鬼にもなることもあったのではないかと思いました。

 


どう歪められたのか どう修正されていくのか

そんな優秀で働き者の三成が何故貶められたか。

その分析は本書最終章で書かれています。

徳川家康に敵対した以上、江戸期に厳しい評価が下されたことは当然のことです。

※以下は家康の事績をまとめた関連記事となります

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軍記等では蒲生氏郷を毒殺するように秀吉に進言したといった、荒唐無稽な逸話も創作されました。

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豊臣政権の悪事の陰には常に三成がいたかのような、悪意ある記述が頻出します。

明治以降、徳川史観のくびきから逃れた三成像は復権してゆきます。

徳川家康こそが豊臣家にとって害意のある者であり、三成はそれを排除しようとしていたという忠臣としての像、能吏としての像が形成されていったことが、丁寧に説明されています。

石田三成のファンならば是非手に入れたい本書。三成ファンでなくとも、豊臣政権の外交政策を知るために、手元におきたい保存版の一冊といえます。

なお、戦国初心者の皆さまの導入編として、石田三成の生涯をマトメた記事を以下に公開しております。

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よろしければ本書の入口としてご一読を。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

『石田三成伝(吉川弘文館)』(→amazon

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