本郷和人の歴史ニュース読み

伊達家に託された信繁(幸村)の子どもたち~東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み

日本中世史の本郷和人・東大史料編纂所教授が歴史ニュースに注目する「歴史ニュースキュレーション」。

今週のメインテーマは、真田信繁の子どもをめぐる伊達家と片倉重長について。

 


真田に学ぶ生き残り戦略

◆生き残り戦略 真田氏に学ぶ 講演する小和田氏/河北新報 3月22日(→link

himesama姫さまくらたに

「真田信繁、ああ幸村じゃなくて信繁って呼ぶわね。信繁の子どもが片倉家、ひいでは伊達家で生き残ったという話は、私たち歴史好きの間では結構、有名なのよね。でも、良い機会だから、きちんと説明してちょうだい」

本郷くん1

本郷「了解いたしました。ええと、信繁の長男の大助幸昌は大坂落城の時に自害したんだね。だけど娘の梅と次男の大八守信は片倉家に保護された」

「片倉家っていうのは代々小十郎を名乗る、伊達家の重臣よね。初代の小十郎景綱は伊達政宗の右腕として有名なのよね~」

本郷「景綱のお父さんって、神職だったっけ? 少なくとも伊達家中では、たいした役を務めていないよね。それなのに、何で景綱が政宗の側近に取り立てられたんだっけ?」

「景綱のお姉さん、というか異父姉なんだけど、そのお姉さんの喜多が関与してるんじゃないかしら。喜多のお母さんはもとは鬼庭良直の妻で、喜多を生んだのよね。でも良直と離縁し、喜多を連れて片倉家に嫁ぎ、景綱を産んだの」

本郷「鬼庭良直といえば、左月斎を名乗った伊達家の重臣だよね。人取橋の戦いで、しんがりを務めて戦死したんだ」

「そう。その良直よ。その家は後に茂庭に改めて、仙台藩で1万石を領するの。でね、話を元に戻すと、おそらく喜多は良直の娘ということで、政宗の「乳母」になるのね。彼女は未婚だったから、実質は守り役かしら。それで景綱が政宗の近臣になるわけだから、お姉さんのご縁じゃないかしら」

本郷「なるほど。だけど、そこで景綱はがんばって伊達家中で認められ、重臣筆頭に登り詰めるわけだね。最終的には白石城1万3000石を領地にするんだよね」

「そうね。でね、私たちの間では景綱サマと政宗サマ、キャー、という話になるんだけどね、実際に政宗のそういった意味での寵愛を受けるのは、景綱の子の重長なのよ。すごくイケメンだったんだって」

本郷「ほー。なるほど。それで、大坂の陣の時には景綱は重病でほどなく亡くなっているから、梅を保護したのは、子どもの重長の方になるわけだね」

「そうなの。伊達勢は大坂夏の陣では道明寺の戦い後藤又兵衛らと激戦を繰り広げ、又兵衛を討ち取ったのよね。信繁はその戦いに遅参したんだけれど、重長の戦いぶりを見て、ああ、この者になら子どもたちを任せられる、と思い、梅と大八を託したの」

本郷「あれ? ぼくが聞いた話だと、そんないい話じゃないな。道明寺の戦いの二日後に大坂城は落ちるわけだけれど、そのときに敗者側の人間を捕虜にする「乱取り」が行われた。それでたまたま重長は梅を捕獲した、というんじゃなかったっけ?」

「そうよ。『片倉代々記』など、残された史料ではそうなってるわね。でもそれじゃあ、夢がないじゃない。いいのよ。信繁が重長を見込んだ、という美談にしておけば」

本郷「はあ。どっちでも良いけどさ。……でまあ、それで、梅は後に重長の妻となり、その姉を頼って、大八が片倉家にかくまわれたわけだね」

「そうなのよ。片倉家はたいへんだったんじゃないかしら。一生懸命、真田の系統をかくまったのだから」

本郷「うーん。また夢のない話をするけれど、案外そうでもないかもよ。だって、石田三成の遺児でさえ、別に処罰されていないんだよ」

「ああ、そうか。三成の長男は、大徳寺に入って、僧侶として名を残すのよね。それから娘は、津軽家の奥方だし、三成の男子で津軽藩の重臣になってる人もいるのよね」

本郷「家康の養女で福島家に嫁に行っていた満天姫(実は姪。福島正則の養嗣子である正之の妻となり一児をもうける)が同家を離れ、津軽信牧のもとに輿入れをする。すると、それまで正室だった三成の娘の辰姫は側室の扱いになるんだね。だけれど、信牧のあとを受け継いだのは、辰姫が産んだ信義だった。幕府はそれを認めているんだよ」

「満天姫には子どもがいなかったんじゃないの?」

本郷「いやいや。彼女も男子を産んでいるのに、だ。けっこう、そのあたり、幕府はうるさくないと思うよ」

「うーん。そうなのかなあ。それについては、一人思い出す人がいるわね。梅が重長の妻になるときに、面白い人の名が登場するの。滝川一積なのよ」

本郷「だれそれ? そもそも、何て発音するの? あ、「一」がつくから、織田信長の重臣、滝川一益の係累かな?」

「そうね。一積は『かずあつ』。一益の長男の長男よ。いろいろあって、江戸幕府に仕えていたのね。彼は信繁の妹、菊を妻にしてたの。この菊の前夫は宇多頼次。石田三成の正室の父、宇多頼忠の甥。三成のお父さんの正継の猶子になっていて、関ヶ原の戦い後の佐和山落城の時に自害しているの」

本郷「あああ。人間関係が複雑で分からなーい。あれ? でも真田昌幸の正室って宇多氏だよね? あ、彼女も宇多頼忠の娘か。菊はじゃあ、いとこと結婚したの?」

「うーん。菊が信繁の同母の妹かどうかは確証がないわねー。でも、ともかく真田家と石田家は二重の婚姻で結ばれてた、っていえるのかなあ」

本郷「なるほどね。それで、話を元に戻して、梅は?」

「ああ、片倉重長と婚姻するとき、梅は滝川一積の養女ということになったのよ」

本郷「なるほどねー。で、どうしてそれが、幕府の対応に関係するのかな?」

「一積は旗本だったのだけれど、のちに改易されるの。そしてその罪状は、梅を養女にしたことじゃないか、という話があるのね」

本郷「ああ。そこでは幕府は厳しかった、と。ふーん。一概には言えない訳か。まあ、そうだろうなあ。そのへんはよく考えてみないといけないかなあ……。それでさ、梅は重長との間に子どもをもうけたの?」

「残念ながら、子どもはできなかったの。だから片倉家には、真田信繁の血は残ってないことになるわね」

本郷「大八はどうなったの?」

「片倉守信を名乗っていたのだけれど、彼の子孫は伊達家に仕えて、300石の家として連綿として伝わっていくことになるのね。これが仙台真田家ね」

本郷「ああ、たまにそこの子孫という方がテレビに出て、やっぱり信繁の名前は幸村でいいんだ、ウチには言い伝えがある、学者が正しいとは限らない、っておっしゃってるね」

「あらあら。あなた、そのうち、お目にかかる機会があるんじゃない?」

本郷「……」

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