徳川昭武/wikipediaより引用

幕末・維新

徳川昭武(慶喜の弟)はパリ万博へ行ってる間に幕府が消滅していた

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戊辰戦争時に不在だったためか、昭武は版籍奉還の際にすんなり水戸藩の知事に任じられています。

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その後「北海道の土地をください」と願い出た時も、あっさり許可が降りました。

さすがに廃藩置県の際は免職になってしまいました。

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4年ほどゆっくり過ごした後に陸軍へ入ると、出身が出身だからか、実戦に赴くわけではなく、教官となります。このとき昭武は22歳ですから、現代でいえば新卒の先生みたいな感じだったんですかね。

 

30歳で奥さんに先立たれ即隠居 松戸の戸定邸で過ごす

陸軍の教官になった翌年に結婚、その後も度々ヨーロッパへ留学したり旅行したりしています。

とはいえ、長女が産まれたときに奥さんが亡くなってしまったため、あまりプライベートでは幸せではなかったのかもしれません。

なんせ妻の死から4ヶ月後に、30歳で隠居願を出しているくらいですから。

家督は甥っ子に譲り、その後は千葉県松戸市の戸定(とじょう)邸という屋敷で隠居生活をしています。

現在は千葉大学園芸学部のお隣にあたるのですが、さすが元大名の屋敷というべきか、立派なものです。大正天皇が皇太子時代に行啓されたこともあるとか。

隠居後の昭武は同じく隠居した兄・慶喜とも互いに行き来し、写真や狩猟など、共通の趣味で仲良く過ごしていたようです。

基本的には「ご隠居さん」で、麝香間祗候(じゃこうのま しこう)という明治天皇の相談役に任じられていたため、度々皇居へも来ていたとか。

この役職には武家の人々も多くいて、同じ徳川家では徳川家達(慶喜の次の徳川宗家当主)や慶喜も任じられていました。

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徳川の人が一堂に会することがあったのかどうかはわかりません。

もしかしたら皇居の一室で、武家社会の終わりについて語らうこともあったのかもしれませんね。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
徳川昭武/Wikipedia
戸定歴史館/松戸市

 



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