御三卿

御三卿の祖となる徳川吉宗(左)と徳川家重/wikipediaより引用

江戸時代

御三家と御三卿って何がどう違う?吉宗の創設した田安と一橋が将軍家を救う

2024/11/09

「紀伊・水戸・尾張の御三家はわかる」

けど……。

「田安・一橋・清水の“御三卿”って一体なんなの?」

「読みは【ごさんきょう】でいいの?」

「田安と言ってるのに、なんで将軍様になれるの??」

江戸時代のドラマを見ていて、こんな疑問を抱いたことはありませんか。

享保十五年(1730年)11月10日は、八代将軍・徳川吉宗が御三卿のはしりとなる田安家を創設した日。

今回は【御三家と御三卿】の違いを確認して参りましょう。

 


吉宗と家重の子供たちから始まった

御三卿というのは要するに徳川本家(宗家)から見た分家のようなもの。

家康が、後に徳川の血が絶えたら困るからという理由で御三家を作ったように、吉宗も「御三家だけじゃ心もとない。ワシの子らにも分家させておこう」ということで作られたのでした。

徳川吉宗/wikipediaより引用

他の養子先と違って徳川の姓を名乗り続けられるため、実際には「将軍の親戚」というような位置づけだったんですね。

田安家・一橋家が吉宗。

清水家は九代・徳川家重から分かれて計三つの家が作られたため、既に存在していた御三家になぞらえて「御三卿(ごさんきょう)」と呼ばれるようになりました。

 


跡取りなくとも改易喰らわず

この田安とか一橋というのは名字ではなく、屋敷のあった場所から取った便宜的な呼び名です。

正式には「田安・一橋・清水に住んでる徳川家の人」ということになります。

それだと一々長いので、本やドラマだと「田安家のナントカ様がうんぬん」という台詞にしているのでしょう。

時代考証的には合ってますが、視聴者にはあんまり優しくないかもですね。

場所は、現在でいえば、田安家は日本武道館北あたり。

一橋家は竹橋駅前、清水家は田安家の少し東側に屋敷を持っていました。

将軍の住む江戸城本丸は今の皇居東御苑ですから、ホントにすぐ近くの親戚って感じです。

江戸城(皇居)のすぐ隣にある武道館

御三卿の当主を決める・養子を迎えるもしくは出すのも将軍が決めていましたし、もちろん特権もありました。

通常の大名家は跡取りがいないと改易をくらいますが、御三卿は当主がいなくなっても「身内だからそのうち適当な人がいれば家名復活させるよん」ということでそのまま名前だけが残っている……なんてのが一つ。

これを【明屋敷(あけやしき)】といいます。

「空き屋敷の間違いじゃないのか」

「当主いなくちゃお先真っ暗じゃねーか」

そうツッコみたくなりますが、将軍が家を保障してくれてるんですから先行き明るいですよね。

 

必ず権現様へつながる

元々が「宗家にも御三家にも良い人材がいないときに養子を出す」ための家ですから、御三卿はあっちこっちへぼんぼこ養子を出しまくります。

時には「明屋敷になっちゃうけど、宗家と御三家のほうが大事だからいいよね!」なんてこともありました。

家がなくなるわけではないので気楽なものです。

そういうときは御三卿の別の家からさらに養子をもらっていました。

一橋慶喜(十五代将軍・徳川慶喜)のように、格上にあたる御三家から来た人もいます。

徳川慶喜/wikipediaより引用

逆に、田安家から御三家の紀州へ養子に出た人の子供が、宗家に戻ってきたという例もありました。

十四代の徳川家茂です。

徳川家茂/wikipediaより引用

どこも元を辿れば吉宗、さらに遡れば家康に行き着くので「大丈夫だ、問題ない」ということだったのでしょう。

 


御三卿の功績が一番かも

特に将軍の実子がいなくなってしまった十代家治の頃からは後継者候補として御三家に並び、御三卿の名前も多く出てくることになります。

十一代将軍・徳川家斉は一橋家の出身。

徳川家斉/wikipediaより引用

十二〜十三代までは血が続いたものの、先述のように十四代(のお父さん)と十五代も御三卿から来ています。

こうなるともう御三家の意味が怪しくなってきますね。

が、後継者に困っていたのは宗家だけでなく御三家も同じだったので、御三卿の存在は実にありがたいものになっていくのでした。

吉宗というとまず米や倹約が連想されますが、こうしてみると御三卿の設置が一番の功績かもしれませんね。

🏯 江戸時代|徳川幕府の政治・文化・社会を総合的に解説

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


あわせて読みたい関連記事

徳川吉宗
家康に次ぐ実力者とされる徳川吉宗|享保の改革と共にその手腕を振り返る

続きを見る

徳川慶喜が将軍になるまで
だから徳川慶喜を将軍にしたらヤバい 父の暴走と共に過ごした幼少青年期

続きを見る

徳川家茂
夭折した“最後の公方様”徳川家茂|孝明天皇に信頼され幕臣からも慕われた

続きを見る

徳川家斉
子供を55人も作った11代将軍・徳川家斉(豊千代)は一体どんな人物だったのか

続きを見る

大老・老中・若年寄の違い
大老・老中・若年寄の違いをご存知ですか|細分化された江戸幕府の役職

続きを見る

【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴史読本2014年12月号電子特別版「徳川15代 歴代将軍と幕閣」』(→amazon
歴史読本編集部『歴史読本2013年1月号電子特別版「徳川15代将軍職継承の謎」』(→amazon
徳川御三家/wikipedia
御三卿/wikipedia

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

-江戸時代
-,

右クリックのご使用はできません
目次