桂小五郎(木戸孝允)/国立国会図書館蔵

幕末・維新

木戸孝允(桂小五郎)の出世道! 意外に気さくな「維新の三傑」とは?

「幕末の人物といえば?」
なんて聞かれたら、ほとんどの人は西郷隆盛とか坂本龍馬とお答えするでしょう。

あるいは大河ドラマの影響で西郷どんだけじゃなく大久保利通あたりをプッシュする方もおられるかもしれません。

そこで思い出していただきたいのが【維新三傑】という言葉です。

西郷、大久保と共に維新三傑に数えられるのは誰なのか?

明治十年(1877年)5月26日が命日の木戸孝允(桂小五郎)です。

この時代の人にしてはやたらと洋装の似合う方で、いかにも生真面目そうな顔つきですが、

木戸孝允/国立国会図書館蔵

フタを開けてみればなかなか面白い性格だったような記録がたくさん残っています。

名前の移り変わりがものすごく多い人ですが、木戸孝允で統一させていただきますね。

 

医者の家に生まれたが武家の養子に出され

木戸孝允の生まれは今の山口県萩市。実家は武家ではなくお医者さんでした。

待望の長男ではありましたが、体が弱く「この子は無事大人になれないんじゃないだろうか」と思われていたので、幼い時期に武士の養子に入っています。

体の弱さとは裏腹に度胸は据わっていたらしく、

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という、今だったら間違いなく生活指導ものの悪戯が大好きだったとか。よく人が死ななかったものです。

そんな悪戯好きの子供によくあること?で、彼は頭の回転も早い人でした。

地元の殿様・毛利敬親は身分を問わず広く人材を募っており、孝允にも試問したことがあるのですが、彼は二回合格しているのです。

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内容は即興で漢詩を作ること。そして儒教の本「孟子」の解説だったそうですから、カンニングや暗記だけではこなせません。

素で頭がいい人って何でもできちゃいますもんね、うまやらしい。

 

俺はもう出家する!

「コイツ見所あるぞ」ということで藩主のお眼鏡に適った孝允ですが、そう簡単に出世はできませんでした。

相次いで肉親を亡くし、すっかり気落ちしてしまったからです。

一時は「俺はもう出家する」とまで言っていたそうですので、心の底から落ち込んでいたのでしょう。

しかし一年ほど経って吉田松陰に弟子入りしてからは、学問が慰めになったのか、再び頭脳明晰さを取り戻していきます。

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ペリーが二回目の来航をしたときには「黒船見たいです!!!」とゴリ押しして見学しに行っているくらいですから、この頃までには立ち直っていたようですね。

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ちなみに当時、藩のお役目など正当な理由がない限り、勝手によその藩へ行ったりすることはできませんでした。熱意パネェ。
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