尾高長七郎

幕末・維新

尾高長七郎(青天を衝け満島真之介)は史実でどんな人物? なぜ短命だった?

幕末の剣士といえば?

真っ先に思い浮かべるのは薩摩と新選組の二大派閥かもしれませんが、もちろん他にいないわけでもありません。

大河ドラマ『青天を衝け』においても満島真之介さん演じる剣士が登場しています。

その名も尾高長七郎(おだかちょうしちろう)――。

主人公・渋沢栄一の従兄弟にして義兄(妻ちよの兄)であり、その剣術は「北武蔵の天狗」とも評されるほどの人物でした。

しかも、政治的にも栄一に強い影響を与え、今後のドラマ展開を大きく左右する存在。

そんな尾高長七郎は、史実においてどんな人物だったか?

生涯を追ってみましょう。

 

尾高長七郎は天保九年に生誕

長七郎は天保9年(1838年)、武蔵国榛沢郡下手計村(現在の埼玉県深谷市下手計)で生まれました。

父は同地域の名主である尾高勝五郎。

兄に初代富岡製糸場長の尾高惇忠がいて、妹・ちよは渋沢栄一の妻になっています。

そもそも栄一と長七郎は従兄弟の関係ですが、ちよの結婚後に義理の兄という立場にもなりますね。

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尾高家と渋沢家には深いつながりがありました。

栄一は幼い頃より勉学に優れ、当初は父の手で漢文を教えられています。

しかし、父は自身の教育に満足せず、隣村で「立派な先生」として噂されていた惇忠に栄一を習わせました。

まだ7~8歳に過ぎなかった幼い栄一は、毎朝自宅から7~8町(1町は約109メートル)の道を歩いて尾高の家へ通ったと語っています。

この家で出会ったのが、惇忠の弟・尾高長七郎だったんですね。

栄一は自伝において彼のことをこう評しております。

「二つ年上で、大柄で腕力があり、かつまた剣術においては非凡な力量を身に着けた人だった」

剣術に心得のある栄一から見ても確かな才能をもった人物だったようです。

 

江戸に赴いて剣術を学ぶ

長七郎は、豪農の家に生まれて家業を離れられない兄に代わり、江戸へ出ました。

剣術を学ぶと同時に多くの人物と交友。

村に帰ると「天下の様子」を栄一らに語りかけたとされます。

長七郎・惇忠・栄一の三名は、幕末志士らに強い影響を与えた学問「水戸学」に傾倒しました。

となれば当然のごとく尊王攘夷・倒幕の思想が強化されていく。

特に長七郎は影響力が強かったようで、栄一本人に『このまま田舎で百姓などしていられない』という覚悟を抱かせるに至ります。

彼は長七郎を頼りに、反対する父を半ば強引に説得して2カ月ほど江戸で遊学。

当時、長七郎がいた下谷練塀小路(現在の東京都千代田区神田練塀町)にて、海保漁村という人物が開く塾で漢学を学びました。

わずかな滞在の期間でしたが、栄一の「百姓なんかやってられねえよ!」という思いは強まるばかり。

もちろん長七郎とその周囲にいた人々が大きな影響を与えたことは言うまでもありません。

しかし文久2年(1863年)、江戸で大事件が勃発します。

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