尾高長七郎

幕末・維新

剣士・尾高長七郎は渋沢の従兄弟で義兄「北武蔵の天狗」は牢に繋がれ

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「お前を殺してでも実行はさせない!」

長七郎は、計画の拙さを知って猛反対しました。

そのときの言葉を要約しますと

・そんな百名程度の寄せ集めの兵力では何もできない

・高崎城を取ったとしても、横浜に攻めるのは無理。百姓一揆と変わらない

・だいいち、同じように決起した他の志士たちでも100点満点の謀反例はないではないか

全くもって正論ばかり。

しかし、栄一もまだ若く、長七郎に食ってかかります。

「確かに兵力は足りないが、それが十分になるまで待っていては先延ばしになってしまう! 中国でも決起の礎となったのは小さな反乱で、たとえ我々が敗れたとしても同じ志を持つ者が奮起するはずだ!」

いかにも攘夷に燃えた若い志士らしい熱い思いをぶつけ、二人は徹夜で論争。

両者一歩も引かずついにはこんな言葉まで出ます。

長七郎「お前を殺してでも実行はさせない!」

栄一「従兄を刺し殺してでも実行する」

こうなったら無理にでも計画は実行され……と思われましたが、そこは若いといえども渋沢栄一

いったん立ち止まって考え「確かに長七郎の言うことも一理ある」と納得するようになります。

結果、栄一はアッサリと計画を中止。

「情報が漏れれば身が危ない」として、逃げるように地元を去っていきました。

栄一はそのときの感謝をこう綴っています。

「今考えると、長七郎の言っていることはもっとも。自分たちの決心はとんでもない無謀であった。本当に長七郎が命を救ってくれたといってもよい」

 

飛脚を殺した罪に問われ獄中へ

決行を諦めた栄一は渋沢喜作と共に京都へ。

長七郎は「すぐに帰っては面白くないだろう」ということで、地元で剣術指南をしていました。

二人はいずれ合流するのだろう――と思われたところで事態は思わぬ方向へ転がっていきます。

それは元治元年(1864年)のこと。

長七郎は江戸に出る途中、戸田が原(埼玉県戸田市)で「飛脚を斬った罪」に問われ、捕まってしまったのです。

獄中から無実を訴える手紙を読んだ栄一と喜作は「一読愕然」の思い。

「これならば、いっそ決起したうえで国のために果てたほうがマシだったではないか!」

そんな愚痴がこぼれるほどでした。

栄一と喜作の二人は、長七郎の罪を弁明するため、危険を顧みず江戸への帰還を考えます。

しかし、彼らは目下逃亡中の身。

しかも長七郎は、「尊王攘夷思想」を綴った栄一の手紙を懐に忍ばせたまま捕まっていました。

「あの手紙があるいうことは、自分たちまで捕まってしまう」

思いは逡巡し、結論がまとまらないまま一晩を明かす栄一と喜作。

翌日、彼らは旧知の仲である幕臣・平岡円四郎に呼び出され「先の手紙」についてそれとなく聞かれます。

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円四郎は幕臣ながら倒幕思想に理解のある人物だったため、彼は「長七郎の捕縛と手紙の内容」について打ち明けました。

最終的に「栄一が困窮し、進退窮まっている」と知った円四郎は、思い切った結論を出します。

倒幕とは真逆の「一橋家への仕官」を提案したのです。

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後がない栄一もこれを了承。一転して幕臣となったのでした。

 

栄一のフランス渡航中に……

栄一は幕臣になってからも彼を救おうと奔走します。

しかし、長七郎は大勢の前で人斬りに及んだ現行犯であったことから、そう易々と釈放を勝ち取ることはできません。

そうこうしているうちに、栄一は出世。

やがて彼は長七郎の罪を消せぬままフランスへと旅立ちました。

結果、長七郎は慶応4年(1868年)夏に出獄したものの、病によって亡くなります。享年33。

帰国した栄一は、倒幕と戊辰戦争によって親戚たちがみな悲惨な境遇に追いやられていることを知ったのでした。

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文:とーじん

【参考文献】
宮崎十三八/安岡昭男編『幕末維新人名事典』(→amazon
渋沢栄一記念財団編『渋沢栄一を知る事典』(→amazon
渋沢栄一/守屋淳『現代語訳渋沢栄一自伝:「論語と算盤」を道標として』(→amazon
土屋喬雄『渋沢栄一(人物叢書)』(→amazon
鹿島茂『渋沢栄一』(→amazon

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