大河ドラマ『青天を衝け』でクローズアップされた水戸藩。
主人公の渋沢栄一が徳川慶喜に仕え、その慶喜が水戸藩主・徳川斉昭の実子であることから、何かにつけ関わりを持っていたわけですが、ドラマではほとんど解説されないことがありました。
水戸学です。
竹中直人さん演じる斉昭が度々「攘夷」を唱えていましたように、かの藩では強烈な思想が渦巻いていました。
その中心にあった水戸学とは一体なんなのか。
考察してみましょう。

徳川斉昭/wikipediaより引用
心即理――陽明学の命題
大河ドラマ『青天を衝け』が放映されると、渋沢栄一の著作『論語と算盤』を扱うニュースや書籍が増えました。
反中国感情が高まる中、儒教を貶すベストセラーがある状況で、近年では異例だったと思えます。
2020年大河ドラマ『麒麟がくる』における麒麟も、実は儒教の理想が反映されたものです。
日本は儒教の教えを重んじてきた国家であり、その点では中国や朝鮮半島と同じであることを忘れてはならないでしょう。
しかし注意したい点もあります。
『青天を衝け』では掲げられていた「心即理」という言葉。
陽明学の命題であり、その意図は次の通りです。
人は生まれつき、性と理が一体となった心がある――。
これは朱子学の「性即理」に対するものです。
「性即理」とは
情に動かされずに性に沿って生き、理を求めていく――。
ことを指します。
つまり陽明学では、「人は生まれながらに誰でも聖人となりうる心がある」とみなしており、劇中でその「心即理」を示すことにより、渋沢栄一とその同志たちが陽明学を学んでいたとわかりました。
陽明学と幕末維新には、大きな関わりがあります。
日本史上、こと幕末から明治にかけては、陽明学を学んだ人物が多い。
その代表が長州・吉田松陰と薩摩・西郷隆盛ですね。
幕府の政治に義憤を掲げた大塩平八郎も、陽明学を学んでいました。

大塩平八郎/wikipediaより引用
そのせいか、
「陽明学こそ武士道の基礎!」
「陽明学は維新につながる革命的思想だ!」
「陽明学で明治維新を成し遂げたのであれば、むしろ日本人こそよく理解している、実質的に日本の根本だ!」
と言い切る書籍等もありますが、そう単純でもありません。
薩摩藩において維新への道筋をたどった精忠組は『近思録』を読む読書サークルが前身でした。
この『近思録』は朱子学に分類されますが、日本への伝播は遅い部類に入ります。
たとえ儒教教典であっても、各地の藩校において採用されていなければ、“異端”とみなされます。
内容が特に過激でなくとも、志ある者たちが集まっているということは、治める側にとっては不穏当とみなすことはしばしばありました。
古今東西、結社が官憲によって取り締まられる背景には、そうした考え方があったのです。
そこを踏まえて【陽明学=革新的・明治維新】と結びつけることは単純化しすぎであることは踏まえておいたほうがよいでしょう。
維新を担った側にも、朱子学に近い思想を持つ人物は当然のことながらおります。
神儒一致――神道を孔子の教えで広める
中華街には中国の宗教が反映されており、関帝廟、媽祖廟、そして孔子廟があります。
そうした場所のみならず、日本全国には孔子像が祀られている場所があります。
それは各地の藩校です。
東湖も教えた水戸藩・弘道館の案内文を見てみましょう。
孔子廟
弘道館建学の精神である「神儒一致」によって建てられ、儒学の祖である孔子を祀っています。
写真は門の部分で孔子廟はその中ですが、通常非公開。
水戸学の祖・徳川光圀に多大な影響を与えたのは、明から亡命してきた儒学者・朱舜水。
水戸学と儒学は切っても切り離せない関係でした。
◆日本最大の藩校・弘道館で江戸時代にタイムトラベル!!(→link)
この案内にもある通り、朱舜水を招聘してきたことは水戸藩の誇りでした。
日本で最初にラーメンを食べた人物は水戸光圀であるとされることもあります。

水戸光圀/Wikipediaより引用
御三家でありながら、他家と比べると扱いが悪い。それなのに、格式は保たねばならない。
石高を上方修正して申請し、藩士が困窮しながらも、誇りを掲げた水戸藩。
彼らの誇りの源流には、朱舜水由来の儒教、そして朝廷とのつながりがありました。
水戸藩にとって誇りとなる、天皇を祀る神道と、儒教を一致させたら、さらなる高みになるのではなかろうか?
そういう考えが生まれてもおかしくはありません。
そんな発想でよいのかと、現代人からすれば混乱するかもしれませんが、これは史実です。
神道と儒教が一致する――しかし、どのようにして?
明快と言えばそうなのです。
中国では、儒教・仏教・道教が並列して信仰されてきました。
孔子の教えを読み、仏像に手を合わせ、道士に運勢を占ってもらう。そんな生活様式が根付いていたのです。
わかりやすい例を見てみましょう。
『三国志演義』は黄巾の乱から幕を開けます。
あの乱を率いていた張角は、道教の祖の一人とされています。
『三国志』もので妖術を使う張角を見ていると、なんだか危険人物に思えますが、彼の思想は中国に定着したのです。
時代を経て、ブラッシュアップされていった『三国志演義』では、諸葛亮が「赤壁の戦い」において、道教の術を用いて東南の風を呼びます。
道教って危険ではないだろうか?
史実の諸葛亮は道教を信奉していたとは思えません。

絵・小久ヒロ
それでも時代が降り、『三国志演義』が流通する時代には道教は根付いていたことがわかります。
他の人物も、こんな紹介がされるのです。
「この人は、儒教・仏教・道教の教えを守る聡明さがありました。」
このように、東洋においては複数の宗教を信じ、その教えを混合してもタブーではありません。
カトリックとプロテスタントを混同することはタブーですが、東洋の宗教はそこまで厳密でもありません。
神道と儒教のハイブリッドは、かくして成立します。
そう言われたところで、疑念は生じると思います。
どう融合したのか?
ここで水戸光圀のことを思い出しましょう。彼は日本で初めてラーメンを食べたとされています。
ラーメンの歴史を考えてみましょう。
もはやラーメンは国民食と言えます。かつてのラーメン丼は中国風の雷紋が定番でした。
それが今はむしろ無地が増えています。
和風を掲げ、店員が作務衣を着用する店、単語そのものを「らあめん」とひらがなにする表記も増えました。
くだけた例えではありますが、神道と儒教もこうしたものといえます。
用語、思想、形式……神道、特に水戸学由来、藤田東湖の思想の影響下にあるものは、儒教の影響があるのです。

藤田東湖/wikipediaより引用
その東湖自身、無理があるとは思っていたのか、理屈はこしらえておりました。
日本は神の国。それなのに、どうして漢(中国)の孔子を祀るのか?
神は全ての頂点にあり、神こそ道である
↓
孔子の教えはそんな道を広げるものだ
↓
道をいよいよ盛んにするためにも孔子を崇拝しよう!
なかなか苦しい三段論法ではあります。
そしてそこから排除した仏教には、厳しい態度で臨むのです。
明治における悪名高い廃仏毀釈は水戸藩が先んじていました。
水戸藩の仏教寺院がどれほど被害を受けたのか?
これが実のところ、幕末の騒乱もあってはっきりとしておりません。
斉昭と東湖が掲げた思想が論理的に苦しく、そしてどれほど破滅的であったか。そのことを覚えておきましょう。
尊王攘夷――維新と東洋盟主への道
幕末となるとさらに別の要素が加わります。
西欧諸国での航海技術の発展、捕鯨船の航行。海岸線の長い水戸藩は、異国船の脅威を感じるようになります。
ここで水戸藩の特徴を考えてゆきましょう。
同じく海に接しており、異国船の脅威を感じていたといえば薩摩藩です。
文政7年(1824年)には宝島にイギリス船が上陸し、戦闘が発生しています。そのことに対して反発や脅威論は盛り上がりますが、それだけでないのが薩摩藩です。
薩摩に暗君なし――そう称されます。
島津斉彬は海外貿易の可能性を見据え、集成館事業を開始。輸出に適した薩摩切子や芋焼酎を開発。西洋由来の技術を高めます。
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長州藩も貿易の重要性や時代の変化に自覚的です。
長井雅楽の『航海遠略策』は先進的な開国策でした。なまじ、そのために長井は暗殺されたと言えなくもありませんが。
こうした藩と比較すると、水戸藩は理論先行、机上の空論めいたものがありました。
『青天を衝け』では玉木宏さんが演じた高島秋帆を高評価した、そんな先見の明もあります。
しかし、水戸はそれだけではありません。狡猾な悪用もしています。
外国船の脅威を、斉昭と東湖らは仏教弾圧の格好の理由にしました。仏像や梵鐘を潰し、それで大砲を作らせ、夷狄に備えると掲げました。
こうして作られた大砲は、攘夷ではなく幕末の内乱で用いられました。
ゴロゴロと引っ張られてきた大砲から、砲弾が飛び出します。
しかしそのままポトリと落ち、何の役にも立たない――天狗党が山中を苦労して引きずっていった大砲とは、そんな代物でした。
いざ実務に用いるとなると役に立たないけれど、目の前の敵を叩き潰す内部抗争には強い。そういう悪しき傾向が水戸にはありました。
阿片戦争で清が大敗したことで、状況は変わります。
ここから近代日中関係は複雑化してゆくのです。
前述の通り、水戸藩は明から亡命してきた朱舜水を庇護しました。
明から清への王朝交代は、漢民族から満洲族に支配者が変わることでもありました。
このことは東アジアに衝撃をもたらしたのです。
朝鮮、そして日本は、中華思想の頂点に立つ漢民族が敗北したことに、困惑してしまったのです。
それと同時に「我が国こそ、漢民族の流れを汲むのではないか?」という思想も生まれてきます。
こうした思想が民衆にまであったことを示す作品が『国性爺合戦』です。
明人が父、日本人が母であり、台湾から明朝復興を目指す鄭成功は、日本人の需要に合致する英雄像でした。
そうした清軽視感情を担ったのは、日本の儒学者でした。
こうした思想面と、阿片戦争による敗北という現実が組み合わさって、水戸学はねじれた傾向を示してゆきます。
清すらできないことをする日本こそ、アジアの盟主となるのだ――。
東湖は南宋の忠臣・文天祥を崇拝し『正気之歌』を愛好していました。
当人作の五言律詞『文天祥正気の歌に和す』は、維新志士にとって必須のものとなってゆきます。
明治以降の日本の外交政策は、吉田松陰の構想を実現していったとされます。
その根源を深く辿ってゆくと、水戸学があると思えてきます。
明清交代、阿片戦争を目にし、「神儒一致」を掲げるうちに、自分たちこそ東洋の道徳を実現する者たちだと思うようになる。その道すじは見えてきます。
日本には【単一民族国家論】があります。
しかし、これはあくまで第二次世界大戦後の認識であることにご注意ください。
むしろ明治から第二次世界大戦までは、日本は東洋のさまざまな民族と混じり合い、その頂点に立つ盟主であるという認識がありました。
東洋と大きく世界を見るのであれば、漢詩を詠んだっておかしくない。孔子を崇拝したって、一向に構わない。だって東洋の盟主だから。そんな思想体系があったことを忘れてはなりません。
明治になると、日本は清から留学生を多数受け入れます。
彼らの中には滅満興漢をスローガンに掲げる者も現れました。満洲族の清を倒し、漢民族の国家を樹立することを目指したのです。
女性革命家・秋瑾(しゅうきん)は、和服を着て写真を残しました。満洲族の衣装よりも、和服の方がむしろ漢民族の衣装に近いと考えたのです。
この日中関係は、日本が清朝のラストエンペラー・溥儀を傀儡とし、満洲国を建設することで終わりを迎えます。
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近代以降、東アジアの国々は儒教とどう向き合うか模索しました。
朝鮮半島では儒教を残し、近代化する道を模索します。
中国は紆余曲折の末、共産主義を掲げた国家が生まれます。
そして批林批孔運動や文化大革命が起こったわけですが、あれは過ちと反省されています。現在、儒教は否定されるどころか、アイデンティティとして重視されています。
日本はどうでしょうか?
福沢諭吉は「儒教から学べることなんてないから捨て去るべきだ」と全面否定し、【脱亜入欧】を掲げました。
一方で渋沢栄一のように儒教を大事にする考え方もある。
『論語と算盤』はまさしくそうした考えが反映されています。
義烈回天――学は残り、人は斃る
トランプ政権時代、こんな疑念を抱いた方はいたかと思います。
「なぜこんな無茶苦茶な理論の持ち主を、支持する人がいるのだろう?」
ポピュリズムの弊害は世界各地で発生している。そんな時代になりました。こうした人間心理を読み解くためにも、歴史は役立ちます。
水戸学の中心にいた斉昭にせよ、東湖にせよ、知名度と発信力、論破力がありました。
斉昭は御三家大名では飽き足らず、幕政に介入しようとことあるごとにアピールを繰り返す。キッパリとした強引さが、混迷する世ではむしろ期待を持って受け止められたのです。
そのブレーンであって藤田東湖も、名声を高めました。
斉昭は「烈公」と呼ばれた通り、気性が激しく、仏教はじめ意に沿わぬ相手に対する弾圧は強引でした。
東湖も激しく敵を作りやすい性格で、敵対者に容赦がありません。
その押しの強さが幕末志士の熱狂を生み出した一因でないかと思えます。自己プロデュースという点では、水戸藩君臣は抜群の能力がありました。
しかし、考えねばならないことはあります。
プロデュース能力と実務能力は、比例しないということ。前述の通り、水戸学は理論先行の傾向があります。
これは水戸学を受け継いだ藩にも現れました。
将軍継嗣問題でも水戸藩と歩調を合わせた薩摩藩は、桜田門外の変で暴発。しかしその後、現実的な島津久光が先頭に立つことにより、幕末の政局をリードします。
久光は西郷隆盛と対立したこともあり、過小評価されがちですが、混迷の政局をうまく乗り切る才覚がありました。
一方、長州藩は激烈でした。
その激しさとテロ計画に、松下村塾生すらついていけません。安政の大獄の取調べで家老暗殺計画を自白したことにより斬首されます。
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松蔭の遺志を継いだ塾生たちは、幕末の京都で強引な攘夷を貫き命を落としました。
下関戦争の惨敗により攘夷から目覚め、薩摩と手を組んだことにより、維新の勝者となる。
一方で、水戸学を生み出した水戸藩は、内部抗争により破滅しました。
しかし、水戸学が明治以降の日本を形成したことは確かなのです。
◆南朝正統論
明治天皇は北朝の子孫です。朝廷内でも、北朝が正統であることが当然のこととして認識されております。それなのになぜ南朝なのか? 水戸学の見解です。
◆靖国神社と英霊
神道は日本の伝統。靖国神社は日本人の心の拠り所である――そう言われますが、あくまで創建は明治以降です。
そのルーツには長州藩の「楠公祭」があるとされます。戦死者を祀る形式に相似点があるのです。そして藤田東湖の提唱した理念が靖国神社のルーツには出てきます。水戸学が根底にあることは確かなのです。
◆暗殺、暴力による解決
江戸の長い泰平の世では、武士ですら刀の扱いを忘れたと福沢諭吉は皮肉げに振り返っております。それは日本人の荒々しさが減衰した喜ばしい変化でもありました。
しかし、「桜田門外の変」が状況を一変させます。暗殺というテロリズムが世の中を変えると、当時の人々は狂喜しました。その結果、暴力による世直しが正当化されてゆきます。
政治の中心地であった京都は、暗殺と殺傷による血生臭い風が吹き荒れるようになります。維新後も士族反乱が西南戦争まで相次ぎました。政治家の暗殺も続き、大久保利通をも犠牲としたのでした。
桜田門外の変の評価は、現代でも難しい問題です。司馬遼太郎は暗殺が嫌いであると断りながらも、桜田門外の変は歴史を変えたとして肯定的評価をくだしています。
しかし、あとに及ぼした悪影響を思えば、そう単純に肯定して良いとも思えません。
◆「狂狷」の肯定と超解釈、そしてテロへ
『論語 子路編』にこうあります。
子曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進みて取り、狷者(けんしゃ)は為さざる所あり。
デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一 23. 狂狷と中道の人(→link)
悪く言えばこうなります。
狂者とは、大言壮語のビッグマウスで、実行力が伴わない人。狷者は臆病なあまり何もできない人。
どちらも極端だけど、中道、つまりはバランス感覚の取れた人と出会えないのであれば、こういう人と行動を共にするしかないということです。
狂者は志が高く、ひとつの目標に熱中して突き進む、革新的なところがある。狷者は悪名を恐れ、悪事をなさず、潔癖だろうから。
吉田松陰がこの「狂狷」に熱中し、そうあろうとしていたことはつとに知られています。
「諸君、狂いたまえ!」
そんな掛け声も、『花燃ゆ』おなじみでしょう。松蔭の教えを汲む山県有朋は「狂介」とかつては名乗っていたほどです。
その源流を辿ると、水戸学も見えてきます。
バランス重視でペコペコするくらいなら、狂と言われようと突き進む!
確かにかっこいいい、人を酔わせます。
しかし「狂」で突き進んでよいのは目的が正しいときだけでしょう。
吉田松陰は間部詮勝暗殺計画に突き進んだため、処刑されました。その「狂」は肯定できるものとは思えません。
◆廃仏毀釈
日本人は宗教に寛容であるとされますが、廃仏毀釈のことを考えていないと思われます。
明治政府の愚行として悪名高い廃仏毀釈は、前述の通り水戸藩で先行して実施されていました。
水戸藩が強引な廃仏毀釈を行なった結果を吟味して欲しかったと思うばかりです。
ちなみに水戸藩における廃仏毀釈の状況は、現代においてもはっきりとしておりません。関係史料が破却されて把握しにくいのです。
◆逆張り精神とアピールテクニック
朱子学を掲げた幕府は形式的だが、水戸学は一味違う! そんな思想をアピールしたのが斉昭です。
たるんでいる、甘い連中に喝を入れるとして、斉昭は狩猟で動物を殺傷し、それを見せびらかしました。
大奥中心にそこが嫌われたのですが、「快なり!」とむしろ評価されてしまい、人気者だと思われている側面があります。
『青天を衝け』でもそうした描写がありますが、それでよいのでしょうか?
2023年ドラマ10『大奥』では、理論が破綻した斉昭の姿が描かれ、やっと軌道修正がなされました。
◆史料や遺構の喪失
明治政府の官僚は、各地で藩政時代の史料を無駄なものとして破棄したがおりました。
城も各地で破壊のうえ、陸軍駐屯地とされ遺構まで破損した例が少なくありません。上田城に至っては建物が遊郭に転用されたほど。日光東照宮も破壊しようとし、明治天皇が止めました。
こうした史料や文化財破壊は、水戸藩が先行していました。
◆辿れない歴史
幕末史を調べていると、風通しのよさが藩により異なることに気づきます。長州藩の場合、勝者は顕彰される一方で、俗論派の事績はたどりにくい。会津藩の場合、敗北することで一致団結したためか、そういうことはありません。会津藩は観光のために歴史を喧伝するという非難もありますが、それも伝える熱意と一致団結、隠蔽体質があっては実現できないのです。
突出してわかりにくいのが水戸藩です。
水戸藩は藩内抗争により、弘道館の一部が焼けました。天狗党と諸生党両者の憎悪がなかなか解けず、検証が進まなかったとされるのです。
幕末の水戸藩は、天狗党と諸生党の激烈な内部抗争により、人材が尽きました。
しかし、水戸学は長州藩の吉田松陰、薩摩藩の西郷隆盛らが継承し、残されていったのです。
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帰ってきた水戸学
水戸学は明治以降も、滅びることなく残り続けました。
そして時折、熱烈な水戸学信奉者が世に姿を見せます。フランス革命由来の右翼、左翼という分け方だけでは、日本の思想は理解できません。儒教、そして水戸学も背景として存在します。
水戸学を信奉し、「昭和維新」を掲げた北一輝。
そして「楯の会」を結成し、割腹自殺を遂げた三島由紀夫。
水戸学は、皇国史観を形成するものであり、第二次世界大戦後となるとタブー視されてきました。
水戸藩幕末史のたどりにくさ、水戸学について学ぶ機会がないため、かえって危険性が理解されにくいのかもしれません。
けれども冷静に、水戸学信奉者のたどった運命を考えていただきたいと思うのです。
2021年大河ドラマ『青天を衝け』では、徳川慶喜が主役であることもあってか、彼周辺の人物が肯定的に描かれております。
斉昭も、東湖も、そして小四郎も。
主人公の栄一は、父を超えたいと語った小四郎を励ましました。ドラマではその程度のつきあいですが、実際には「畏友」と呼び合うほど親しくしていました。
その先に、父の背中を追いかけた彼のたどる悲運【天狗党の乱】――ドラマでは、極めて不正確に、粗雑な描写で描かれました。
渋沢栄一が助命嘆願を無視したこと。慶喜が討伐を命じたことすら、誤魔化されました。悪質な歴史修正がなされたのです。
水戸斉昭は、桜田門外の変で怨敵・井伊直弼が暗殺され半年もたたぬうちに、心臓破裂による死を迎えます。
そのとき、もはや水戸藩は解体へ向け沸騰しつつありました。藩主ですら、コントロールできないほどでした。
老公と敬愛されていた斉昭の意思すら聞かずに、暴走する藩士たち。その暴風の中に飛び込んでいった小四郎たちは悲運に翻弄されてゆきます。
小四郎の父・東湖と斉昭が醸成した水戸学は、危険なものと化していました。
もとから相手の反論を許さず、己の正義をかざし、黙らせるような過激さがあった。
パフォーマンス重視。勢いよく振る舞う言動で人を魅了する。現代のポピュリズムに通じるものがある。
アンチであることが目的となる。水戸学は御三家でありながら冷遇した徳川宗家へのアンチが満ちていました。
仏教嫌いを辿っていけば、仏教の影響が濃かったの日光東照宮が見えてくる。そもそもが将軍の権威否定のために尊皇思想を持ち出したように思えなくもない。
その斉昭の逆張りから生じた徳川宗家へのアンチありきの思想が、実際に倒幕において機能し、斉昭の息子である慶喜が対峙することになるとは、皮肉の極みです。
目の前の敵を倒し、マウンティングし、レスポンスバトルを制し、エコーチェンバーを形成する。
逆張りが得意だから、ヴィーガンに焼肉画像を送りつけて「快なり!」とバズって浮かれる。
そんな現代でも通じそうな洗脳テクニックが水戸学にはあるようにすら思えます。水戸学には人を熱狂させ、結束させる力はあるのでしょう。
しかし、結束した先に何をするのか?
そこがなければ、有り余る攻撃力を周囲にぶつけ、結果として凄惨な内乱が起こり流血が引き起こされます。その弊害を認識せねばならないのでしょう。
そうでなければ、帰ってきた水戸学によって、危険極まりない災難に陥るかもしれない。
『青天を衝け』を肯定するにせよ、その危険性を認識することも大事だと思う次第です。
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【参考文献】
『藤田東湖 (人物叢書)』(→amazon)
『烈公水戸斉昭』(→amazon)
『近代日本の陽明学』(→amazon)
『儒教が支えた明治維新』(→amazon)
『皇国史観』(→amazon)
『「明治礼賛」の正体』(→amazon)
『儒教と近代国家: 「人倫」の日本、「道徳」の韓国』(→amazon)
『水戸学と明治維新』(→amazon)
『徳川慶喜のすべて』(→amazon)
『幕末史』(→amazon)
『暗殺の幕末維新史』(→amazon)
『吉田松陰190歳』(→amazon)
『幕末時代劇、「主役」たちの真実』(→amazon)
『アジア主義全史』(→amazon)
『知のモラル』(→amazon)
『戦争の古代中国史』(→amazon)
他








