子供から大人まで。
男女関係なく愛されている日本の代表的麺類ラーメン。
そもそもは中国ルーツであることは何となく脳裏にあるでしょうが、では【ラーメンの歴史】は、日本でいつ始まり、どうやって各地へ分散していったのか?
こうなると、なかなか知り得ない状況でしょう。
7月11日は一般社団法人日本ラーメン協会が制定したラーメンの日。
今や世界食になったと言ってもいい日本の誇る食文化の足跡を追ってみましょう。
そもそもラーメンとは何か?
かつて【日本で初めてラーメンを食べた人物】として名前があがっていたのは水戸光圀です。
最近この記録が書き換えられ、室町時代の長享2年(1488年)に
【中国の麺類「経帯麺」を食した】
という記録が発見されました。
ただし、これもいささか大ざっぱな話ですよね。
日本で「ラーメン」といえばざっくりと中国の麺類という話になりますが、中国での「拉麺(ラーメン)」は手で延ばしているという定義が加わります。
生地を包丁で切る場合は「切麺」になるのです。
このへんでややこしくなってきますので、麺の製造過程については問わないこととして、
【日本で食べられている、中華麺を用いた料理=ラーメン】
ということに本稿では統一します。

中国のラーメンはまず手で延ばす/photo by Youngjediboy wikipediaより引用
そして本稿では、室町時代にせよ、水戸光圀にせよ、初めてのラーメン論争に関しては敢えて触れないこととします。
特権階級の一部が物珍しさから食べただけで、食習慣として庶民に定着したわけではないからです。
また「ラーメン」は「中華そば」や「支那そば」といった呼び方もあります。
本稿では特に断りのない限り、「ラーメン」と統一して表記します。
では、その歴史を振り返ってみましょう。
明治の開国と共に普及したラーメン
日本の国民食として定着するラーメンのルーツは、1880年代、明治初期からと見られます。
横浜に広東地方出身の人々が住み着き、外国人相手にラーメンを提供し始めたのです。
当時の顧客は、故郷の味を懐かしむ出稼ぎ労働者や留学生といった、清出身の人々でした。
それが1900年代に入り居留地が廃止になると、それまで敷地内に限られていた中華料理が、だんだんと広がっていきます。
1910年代の明治時代末期には、日本人が経営するレストランでも、ラーメンが提供されるようになりました。
日本人向けにアレンジされ、メンマやチャーシューが載せられたラーメンは腹持ちがGOOD!
特に肉体労働者や学生、兵士といった、がっつり食べたい客にとってはありがたいメニューだったのです。
塩分、油、そして小麦粉の麺。
健康の観点からは問題視されがちな要素ですが、スタミナ付けて頑張ろうぜ、という時にはありがたい。それは明治時代から大正時代の人々にとっても同じだったんですね。
1920年代になると、さらにラーメンは拡大しました。
これにはどうしたって、日本に来ていた中国人が広めたという事実は避けて通れません。
例えば日本三大ラーメンのひとつ「喜多方ラーメン」は、中国人青年の藩欽星(ばんきんせい)が、屋台を引いて売り始めたことが発祥とされています。
当時の喜多方市には電気工場があり、中国や朝鮮半島出身者が多く働いていました。喜多方ラーメンは彼らの間で食べられていたものが、地元の人々にまで広まったことが由来です。
このあたりが「THE・ラーメンの歴史!」という感じですね。
山奥で交通の便が悪い会津地方の喜多方でも、中国から多くの人が働きに来た証拠に他なりません。
そうです、ラーメンの歴史は、日本の歴史とも連動しているのですね。
関東大震災では、被災地から逃れた経営者が、全国拡大に一役買っています。
しかし、この拡大ブームにも、急激なブレーキがかけられてしまいます。
1937年(昭和12年)から始まる戦争により、物資が不足。
日本という国そのものが崩壊の危機に瀕し、日本の食文化も大打撃を受けたのです。
多くのラーメン店が閉店を余儀なくされました。
闇市とアメリカの小麦粉政策
日清食品を創業し、カップヌードルの販売を始めた安藤百福が、ラーメンの可能性に気づいたのは闇市がキッカケでした。

安藤百福像
なぜ行列になるほどの人気となったのか?
1945年(昭和20年)の敗戦後、日本では極度の食料難が続きました。結果、映画『火垂るの墓』の主人公兄妹のように、飢えて亡くなる孤児も大勢いたのは周知の通りです。
そんな中、比較的手に入りやすい穀物が小麦でした。
米軍の小麦粉緊急輸入により、大量に入手できたのです。
アメリカ政府は当初の方針をまげ、日本への食料援助を積極的に行いました。
日本をかつての敵国から、冷戦下でのソ連に対する同盟国に塗り替えることが急務だったのです。そのための食料援助など安いものだったでしょう。
こうして闇市には、アメリカ産の小麦粉が溢れました。
あふれていたのは小麦粉だけではありません。
中国大陸から引き揚げてきた人々は、現地でラーメンや餃子の作り方を習得。
レシピを頼りに、中華料理を作り始めます。
戦後の中華料理の広がりは、こうした引き揚げ者も関係していました。
和食よりもスタミナがつくというイメージは、飢えに苦しみ活力を求める人々にとって魅力的でした。
想像してみてください。
ずっと慢性的に飢えて、サツマイモやその蔓や葉っぱまで食べていた――そんなとき、目の前にラーメンが出てきたとしたら。
あたたかく、芳醇な香りで、湯気がたち……たまりませんよね。
戦前も肉体を使う男性に好まれましたが、戦後もこの状況は変わりません。
やや粗野な食べ物というイメージがありました。
「女性一人でラーメン屋なんて恥ずかしい!」という、今からすればナンセンスな話も、そうした名残だったのでしょう。
闇市のラーメンとは、戦後復興期の日本人にとって、輝かしい思い出の味。
それはアメリカの政策と深く関わりがあり、日本の歴史とも連動していたのでした。
米を食べるとバカになる!?
小麦粉なら、パンより絶対ラーメンの方がイイ――そんな信念のもと、安藤百福はチキンラーメンの開発・生産に取り組みました。
実はそのことは1950年代のアメリカ側も認識していた様子。
思ったよりもパンは好まれていない。パンそのものを配給するより、小麦粉を直接分けた方が良いのでは?
1955年(昭和30年)から始まる高度成長期になると、ラーメンの役割は変化します。
闇市で人の腹を満たす一杯から、肉体労働者や学生向きの、気軽でおいしい食事へと変わってゆくのです。
油っこくコクのあるスープ。
コシのある麺。
それらは若者を中心とした日本人の心――ならぬ胃袋をシッカリと掴みました。
これは単純な話ではなく、なかなか政治的な背景がありまして。
アメリカは、食料の輸出先として日本に目をつけました。
そのためには、食事も西洋化して、小麦粉や乳製品を口にしてくれたほうがありがたい。
かくして米、サツマイモ、豆類の重要性が低下し、代わりに小麦粉、乳製品、肉類の需要が高まってゆきます。
ラーメンは中国発祥の食べ物ではありますが、高度成長期にラーメン消費量が増えていったのは、アメリカの食料政策が背景としてありました。
こうした小麦粉プッシュには、今からみるとトンデモナイ話もありまして。
1959年(昭和34年)に発表された大磯敏雄の著書『栄養随想』には、
【西欧人が合理的な考えをするのは小麦粉を食べているから、日本人も米ではなくて小麦粉を食べるべき】
という、ぶっとんだ思想が掲載されていたのでした。
当時は、大真面目です。
東大教授までこうしたデマをバラ撒き、「米を食べるとバカになる」というパンフレットも配布されていたのですから、わけがわかりません。
インスタント食品時代の到来
伸びる小麦粉消費量と、高度成長期という時代背景の中、日本人はますますラーメンを食べるようになります。
その総仕上げが、安藤百福によるインスタントラーメンの開発および販売でした。
インスタントラーメンは、ラーメンを食べるべき第3の理由を生み出しました。
【調理の簡単さ】です。
1958年(昭和33年)のチキンラーメン発売のころ。
海の向こう側では「テレビディナー」が人気を集めておりました。
メインディッシュと副食物をトレイにつめこんだもので、オーブンであたためてそのまま食卓に出せるモノ。
女性の社会進出とテレビが普及し始めた当時、ほぼ準備なしで食べることのできるこうした「インスタント食品」は人気を博しました。
チキンラーメンは当初割高で、業界は本当に売れるのか、疑念すらありました。
しかし、安藤は調理の手間をかけたくない人には、この簡便さが受けるはずだと睨み、その通りになります。
チキンラーメンはじめインスタント食品が急速に普及し始めた時代。
ラーメンは別の変貌を遂げてゆくことになったのです。
ラーメンの「和食化」
戦前、ラーメンを売り歩き始めたのは、中国大陸出身者でした。
闇市で人々がラーメンに強く惹きつけられたのは、中華料理が精力を付けてくれると思ったからです。
しかし、インスタントラーメンが普及し始めたころから、多くの日本人はこう思うようになったのです。
『あぁ、ラーメンって日本の味だよなぁ……』
確かにこのころから、独自の味、独自の存在になったと言えるでしょう。
1980年代になると、凄まじいブームが到来。
発売当初よりずっと安くなったインスタントラーメンやカップラーメンは家庭での定番食に成長し、ラーメンの名店では人々が並ぶという状況が訪れました。
庶民的な食であったラーメンが、ときには遠出をしてまで食べる「特別な一杯」になったのです。
これはシンボルキャラクターを見ても一目瞭然。
日清の「出前一丁」のキャラクターは、あきらかに和装を着用しています。
もしもかつてのように中国風を推してくるのならば、ベビースターラーメンの先代マスコットキャラクター「ベイちゃん・ビーちゃん」(2016年に引退)のように、中国服を着用していてもおかしくないわけです。

ベビちゃんビーちゃん/公式サイトより引用
安藤百福は、広告の効果をよく理解していました。
ゆえに見逃していたとも思えないというか、彼の深慮遠謀を見る気がします。
実際に、インスタントラーメンは世界を席巻しました。
香港では「出前一丁」が現在国民食と呼ばれるほどで、海外では「日本産」であることが売りでした。
さらに2017年に流された、イケメン出前坊やが壁ドンならぬ壁出前一丁をする広告は、日本の少女漫画風。
その戦略がいかに正しかったかを裏付けています。
そして、このラーメンの脱中国、和食化は現在進行形です。
前述の「ベイちゃん・ビーちゃん」が2016年(平成28年)に引退し、新たに応募で決まった現在のキャラクター「ホシオくん」は、現代的な日本人の少年をイメージした容姿です。

ホシオくん/公式サイトより引用
どんぶりについても思い出してください。
かつては中国由来の「雷紋」や龍の絵がついていることが一般的。
時代がくだるにつれ、そうした中国風のモチーフは減少し、高級感のあるシンプルなものが主流となりつつあります。
そして、その最たるものがサンヨー食品の「和ラー」(→link)でしょう。
ブランドコンセプトは日本産のこだわり食材を使用していること。
「日本中をラーメンにしてしまえ!」
という宣伝文句からは、もはやラーメンが和食化したということが伝わって来ます。
愛されて、憎まれる、一杯
一方で、ラーメンに対しては根強い批判も生まれていきます。
かつてスープは、栄養があるから飲み干すようにと勧められていました。
しかし、現在では、健康面でマイナスという見方が主流。
日本人の食生活が豊になり、健康やダイエットを気にする人が増えてからは否定的に見られるようになっています。
これはインスタントラーメンにおいても、同様でした。
チキンラーメンは販売当初、栄養価が高く妊婦にも適しているとされたほどです。
しかし、時代がくだると、栄養価が低いジャンクフードの筆頭としてあげられることとなります。
本当にインスタントラーメンやカップラーメンは、そこまで栄養的な意味で【悪者】なのでしょうか?
確かにこうしたものばかりを食べていては、栄養価が偏るでしょう。
ただ、それを言うのならばおにぎりと漬け物ばかりを食べていたところで、結果は同じです。
このあたりは、インスタントラーメンがあまりに調理を簡略化したため、悪役のレッテルを貼られた部分もあります。
インスタントラーメンからロボット掃除機まで。
家事の手間を省く製品は、反動的な人々から憎悪をもって睨まれるもの。
インスタント食品は、母親や主婦の手抜きを助長するとして、攻撃されたのです。
1960年代頃には「家族を崩壊させる」なんて悲観的な見方も出てきて、「そりゃ、イチャモンでしょ」とツッコミたくもなる風潮です。
おにぎりがOKでインスタントラーメンが駄目だという根拠が栄養学的な問題ではなく、要は【女性の手間】というジェンダー的な問題になっているんですね。
簡単に作られるからこそ【一人で食べる=孤食を助長する】という意見も出てきました。
確かに偏食すれば栄養価の問題は大いにあるでしょう。
しかし、ラーメン、ことインスタントラーメンに対して、否定的な目線が送られるのは過剰な一面がある気もします。
これもあまりに爆発的に普及した余波なのかもしれません。
ラーメン! Ramen! 日式拉麺!
安藤百福が心血を注ぎ、試行錯誤を繰り返して作り上げたチキンラーメン。
この偉大な発明は、世界で愛されるために生まれてきた運命の食品でもありました。
もしもポークやビーフエキスで作られていたら、食のタブーがある地域では受け入れられなかったでしょう。
安藤はカップラーメンの製品化においても海外を視野に入れ、そして実際に拡大していきます。
※海外では映画『たんぽぽ』のラーメンシーンが有名なんだそうです
筆者は以前、中国で、とある大物映画監督の舞台挨拶を見たことがあります。
彼は映画のコンセプトについて丁寧に説明したあと、頭を下げてこう言いました。
「それでは私はこれから、美味しいラーメンを食べに行きます。日本のラーメンがとても好きなのです」
嗚呼、本場の人も、【日本のラーメン】を食べるのか!と、その時は少々面食らいました。
そして、その映画監督のあとに、別の中国の方が、大変熱心にラーメンへの思い入れを語るのを聞きました。
そこで私はやっと理解したのです。
中国語圏内では、日本のラーメンは「日式拉麺」と呼ばれており、もはや日本食なのだと。
彼らにとってラーメンは日本食であり、日本でのラーメンこそ本場なのだと。
そして更にこんなことも思い出しました。
以前、イギリスの方が「最近のイギリス料理はおいしい。カレー、タンドリーチキン等」と書いておりまして。
私はこう突っ込んだのです。
「それはどちらもインド料理でしょ!」
私が浅はかでした。
【ラーメンは中国にルーツを持つ日本料理】
【カレーはインドにルーツを持つイギリス料理】
なのだと。
歴史を経て、その国に根付き「それはもうあなたの国の料理だ」と思われるのだとしたら、もう、その国の料理なのです。
ちなみに前述の日本ラーメン大好きな中国の方は、中国が本場だのなんだの別に言うことはなく、むしろ母国ルーツの食べ物がアレンジされていることを楽しんでいるようでした。
世界中でオリジナルができている
以下は、あくまで私の考えだと前置きします。
最近、海外の方がアレンジしている日本料理をぶった切るようなコンテンツを目にすると、とてつもなく哀しい気持ちになります。
ラーメンをアレンジして和食に、そして国民食にした日本人が、それを言うのは天に唾するものではないでしょうか。
美味しく愛されていれば、それでよいのではないでしょうか。
話を戻しまして。
ラーメン、ことインスタントラーメンやカップラーメンについて言えば、もはや世界中でその国のラーメンができています。
前述の通り香港で大人気、もはや国民食だという「出前一丁」は、【五香牛肉】や日本でも限定販売された【辛辣XO醤海鮮味】といった、現地の味を取り入れたものが売られています。
これは香港のみならず、世界各地で起きている現象です。
こうなってくると、もはやルーツをたどるのもややこしくなってきます。
【本来中国の料理だったラーメンを、日本人がインスタントラーメンとして販売、香港で現地にあわせた味を作る】
なんてことになっているわけですね。
これはもう、インスタントラーメンの小さな袋の中で世界が溶け合っている――そんな話じゃないですか。
食文化とはなんと豊かで、おもしろいものなのでしょう。
★
時々無償に食べたくなる。
私たちを惹きつけてやまない至福の一杯。
その歴史は、明治以降の日本の歴史とも密接に絡んでおりました。
大陸から海を越え、横浜の外国人居留地で店を開いた人々。
日本各地の工場で働き、その合間にラーメンをすすっていた、中国や朝鮮半島出身の人々。
いかにして小麦粉を食べさせるか考えたアメリカ政府。
ラーメンは日本食であり国民食。しかしそのルーツや普及に関しては我々日本人だけのものじゃないことは踏まえておきたいところです。
その歴史は、複雑で深い味わいのダシが染み渡ったものなのです。
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【参考文献】
ジョージ・ソルト『ラーメンの語られざる歴史』(→amazon)
筑摩書房編集部『安藤百福――即席めんで食に革命をもたらした発明家』(→amazon)








