畳の歴史

食・暮らし

江戸時代には奉行もいたほど重要な畳の歴史|起源は平安期のゴザか筵か

2024/09/23

人間に備わっている感覚の中で、最も記憶に残るのは「嗅覚」、つまり匂いだそうです。

“たまたま行き交った人が、昔の恋人が愛用していた香水と同じだった”

なんて恋愛小説みたいな話や、かつてドルガバの香水の歌が流行ったのも、そういった構造に基づいていたんですね。

となると、匂いに関する記憶の中に、私たちが先祖代々受け継がれてきたものもあるわけで。

9月24日は「畳の日」です。

「全国畳産業振興会」が制定したもので、9月24日から始まる「環境衛生週間」にちなんで制定されました(ちなみに4月29日も“みどりの日”に合わせて畳の日となってます)。

現代では洋室にお住まいの方が多いと思われますが、たまに和室に入ると何となく落ち着き、懐かしい気持ちも湧いてきませんか?

おそらくは、日本という国の形成と共に畳が発達・普及してきたからでしょう。

本稿では、長い長い畳の歴史を振り返ってみたいと思います。

 


語源は「たためるもの」 当初はゴザか筵

「畳」の語源は「たためるもの」。

つまり元々は敷物全般を指していた言葉でした。

単語としては、神武天皇や景行天皇の和歌にも出てきています。

といっても、その頃の「畳」は現在のような厚みのあるものではなく、ゴザか筵(むしろ)を意味していたようです。

今日のような造りのものが「畳」と呼ばれるようになったのは、平安時代だと考えられています。

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この頃には厚みが出ていたため、たたまずに置きっぱなしで使うようになりました。

当初は部屋一面に敷くのではなく、貴人の座る場所や寝所の一部に敷くものでした。

天皇の生活の場だった、皇居の清涼殿が良い例です。

天皇が執務を行う「昼御座(ひのおまし)」や休息所である「御帳台(みちょうだい)」、寝室の「夜御殿(よるのおとど)」などには、畳が二枚敷かれ、その上に天皇の席などが設けられています。

 


書院造りや茶室でも用いられるようになり

その後、畳は公家の屋敷でも使われるようになりましたが、やはり部屋の一部だけに使われていました。

また、身分によって畳の大きさや縁に使える色・模様が決まっていたため、インテリアとしての意味合いもあったと思われます。

百人一首かるたの遊び方の一つ「坊主めくり」で、「姫」と呼ばれる女性の札の下のほう、畳の縁にあたる部分が派手な色になっていますよね。だいたいあんな感じです。

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鎌倉時代以降は、板間より畳敷きの家が一般的になりました。

これによりほとんど畳を移動させることがなくなったため、更に分厚い作りに変化。

書院造りや茶室など、テストでお馴染みの建築にも畳は欠かせないものとなっていきます。

とはいえ、それはある程度身分の高い人の話です。

庶民にとって畳が馴染み深いものになるのは江戸時代以降でした(農村ではさらに遅く、明治に入ってからだといわれています)。

 

熊本県八代地方で国産品の8~9割

江戸時代には「畳奉行」という役職が生まれるほど、重要なものとみなされました。

忠臣蔵でも「勅使・院使の宿所の畳替えについて、吉良上野介が浅野内匠頭に教えてやらなかった」とされていますね。

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この点についてはおそらくお芝居になる際の脚色だと思われますが、それほど畳が重要視されていたことの証左でしょう。

では、なぜ畳は日本独自に生まれ、発展したのでしょうか。

最たる理由は、材料である「い草」が国内、かつ先に文化が発展した西日本で採れたからでしょう。

順番としては「ござ・むしろ」が先にでき、奈良時代頃に畳へ派生したと考えられています。

特に熊本県八代地方は、国産品の8~9割を生産しています。

他にも「い草」の産地はありますが、石川県や静岡県を除いて、ほぼ全て西日本です。

最近は外国からより安価な「い草」が輸入されていますが、消費者の自然・健康志向などにより、国産も一定以上の人気があります。

夏場はカーペットやラグをい草のマットにして、少しでも涼しく過ごす工夫をする、という方も多いですよね。

生産側でもそれを受けて、室の向上や高級化に取り組んでいるとか。

 


どうして関東と関西でサイズが異なるの?

畳といえば、関東・関西でサイズが違うこともよく話題になりますよね。

これは、家を建てるときの考え方の違いによるものだそうで。

主に畳の大きさを基準にして部屋の広さを決める「畳割り」と、柱の中心同士を基準にする「柱割り」があります。

前者のほうが古い建築のやり方だそうですが、後者のほうが家を建てるときに大工さんの作業効率がいいんだとか。

このため、より歴史の古い京都や周辺地域では「京間」と呼ばれる畳が主流となり、比較的近代に発展し、急ピッチで住宅を多く建てなければならなかった江戸などでは、柱割りをするために畳をやや小さくした「江戸間」が広まった……というわけです。

そのため「江戸間」と呼ばれる関東の畳は、家ごとに異なる寸法でした。

現在では江戸間も京間も規格が決められており、江戸間:京間の比率はおおよそ1:1.18となっています。

最近では「◯帖」よりも平方メートルで表すことも多いですね。不動産業界では「1帖=1.62平方メートル」と定義していることもあります。

畳に限らず、衣食住にはその国で最も快適に過ごすための知恵が詰まっています。

多少現代にそぐわない点もありますが、うまく利用して暮らしていきたいですね。


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【参考】
佐藤理/山田幸一『畳のはなし (物語ものの建築史)』(→amazon
全国畳産業振興会(→link
/Wikipedia
イグサ/Wikipedia
ござ/Wikipedia
/Wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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