畳の歴史

食・暮らし

江戸時代には奉行もいたほど重要だった「畳の歴史」ルーツは平安期のゴザか筵か

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
畳の歴史
をクリックお願いします。

 


熊本県八代地方で国産品の8~9割

江戸時代には「畳奉行」という役職が生まれるほど、重要なものとみなされました。

忠臣蔵でも「勅使・院使の宿所の畳替えについて、吉良上野介が浅野内匠頭に教えてやらなかった」とされていますね。

忠臣蔵
フィクションの『忠臣蔵』と史実の「赤穂事件」では何がどう違うのか

続きを見る

赤穂事件(赤穂浪士討ち入り)
赤穂事件=赤穂浪士の討ち入りはテロ事件?史実はどのように進んだか

続きを見る

この点についてはおそらくお芝居になる際の脚色だと思われますが、それほど畳が重要視されていたことの証左でしょう。

では、なぜ畳は日本独自に生まれ、発展したのでしょうか。

最たる理由は、材料である「い草」が国内、かつ先に文化が発展した西日本で採れたからでしょう。

順番としては「ござ・むしろ」が先にでき、奈良時代頃に畳へ派生したと考えられています。

特に熊本県八代地方は、国産品の8~9割を生産しています。

他にも「い草」の産地はありますが、石川県や静岡県を除いて、ほぼ全て西日本です。

最近は外国からより安価な「い草」が輸入されていますが、消費者の自然・健康志向などにより、国産も一定以上の人気があります。

夏場はカーペットやラグをい草のマットにして、少しでも涼しく過ごす工夫をする、という方も多いですよね。

生産側でもそれを受けて、室の向上や高級化に取り組んでいるとか。

 


どうして関東と関西でサイズが異なるの?

畳といえば、関東・関西でサイズが違うこともよく話題になりますよね。

これは、家を建てるときの考え方の違いによるものだそうで。

主に畳の大きさを基準にして部屋の広さを決める「畳割り」と、柱の中心同士を基準にする「柱割り」があります。

前者のほうが古い建築のやり方だそうですが、後者のほうが家を建てるときに大工さんの作業効率がいいんだとか。

このため、より歴史の古い京都や周辺地域では「京間」と呼ばれる畳が主流となり、比較的近代に発展し、急ピッチで住宅を多く建てなければならなかった江戸などでは、柱割りをするために畳をやや小さくした「江戸間」が広まった……というわけです。

そのため「江戸間」と呼ばれる関東の畳は、家ごとに異なる寸法でした。

現在では江戸間も京間も規格が決められており、江戸間:京間の比率はおおよそ1:1.18となっています。

最近では「◯帖」よりも平方メートルで表すことも多いですね。不動産業界では「1帖=1.62平方メートル」と定義していることもあります。

畳に限らず、衣食住にはその国で最も快適に過ごすための知恵が詰まっています。

多少現代にそぐわない点もありますが、うまく利用して暮らしていきたいですね。


あわせて読みたい関連記事

絶滅寸前まで追い込まれた和犬(地犬)の歴史~原因は維新と戦時毛皮供出運動だった

続きを見る

たばこ歴史
今も昔も不良のアイテム 戦国時代に始まったタバコの歴史を振り返る

続きを見る

コメントはFacebookへ

猫の歴史
猫の歴史~天皇や戦国武将から海外歴史人のデレデレ愛猫家エピソード

続きを見る

和食の歴史
紫式部は鰯好きを隠し 戦国武将は包丁を握った~和食の歴史を振り返ろう

続きを見る

男色・衆道
日本が「男色・衆道に寛容だった」という説は本当か?平安~江戸時代を振り返る

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
佐藤理/山田幸一『畳のはなし (物語ものの建築史)』(→amazon
全国畳産業振興会(→link
/Wikipedia
イグサ/Wikipedia
ござ/Wikipedia
/Wikipedia

TOPページへ


 



-食・暮らし
-

×