水戸学

水戸城・大日本史編纂地

幕末・維新

水戸学とは何ぞ? 斉昭のパフォーマンスが幕末に投じた思想的影響のヤバさ

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義烈回天――学は残り、人は斃る

トランプ政権時代、こんな疑念を抱いた方はいたかと思います。

「なぜこんな無茶苦茶な理論の持ち主を、支持する人がいるのだろう?」

ポピュリズムの弊害は世界各地で発生している。そんな時代になりました。こうした人間心理を読み解くためにも、歴史は役立ちます。

水戸学の中心にいた斉昭にせよ、東湖にせよ、知名度と発信力、論破力がありました。

斉昭は御三家大名では飽き足らず、幕政に介入しようとことあるごとにアピールを繰り返す。キッパリとした強引さが、混迷する世ではむしろ期待を持って受け止められたのです。

そのブレーンであって藤田東湖も、名声を高めました。

斉昭は「烈公」と呼ばれた通り、気性が激しく、仏教はじめ意に沿わぬ相手に対する弾圧は強引でした。

東湖も激しく敵を作りやすい性格で、敵対者に容赦がありません。

その押しの強さが幕末志士の熱狂を生み出した一因でないかと思えます。自己プロデュースという点では、水戸藩君臣は抜群の能力がありました。

しかし、考えねばならないことはあります。

プロデュース能力と実務能力は、比例しないということ。前述の通り、水戸学は理論先行の傾向があります。

これは水戸学を受け継いだ藩にも現れました。

将軍継嗣問題でも水戸藩と歩調を合わせた薩摩藩は、桜田門外の変で暴発。しかしその後、現実的な島津久光が先頭に立つことにより、幕末の政局をリードします。

久光は西郷隆盛と対立したこともあり、過小評価されがちですが、混迷の政局をうまく乗り切る才覚がありました。

一方、長州藩は激烈でした。

その激しさとテロ計画に、松下村塾生すらついていけません。安政の大獄の取調べで家老暗殺計画を自白したことにより斬首されます。

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松蔭の遺志を継いだ塾生たちは、幕末の京都で強引な攘夷を貫き命を落としました。

下関戦争の惨敗により攘夷から目覚め、薩摩と手を組んだことにより、維新の勝者となる。

一方で、水戸学を生み出した水戸藩は、内部抗争により破滅しました。

しかし、水戸学が明治以降の日本を形成したことは確かなのです。

◆南朝正統論

明治天皇は北朝の子孫です。朝廷内でも、北朝が正統であることが当然のこととして認識されております。それなのになぜ南朝なのか? 水戸学の見解です。

靖国神社と英霊

神道は日本の伝統。靖国神社は日本人の心の拠り所である――そう言われますが、あくまで創建は明治以降です。

そのルーツには長州藩の「楠公祭」があるとされます。戦死者を祀る形式に相似点があるのです。そして藤田東湖の提唱した理念が靖国神社のルーツには出てきます。水戸学が根底にあることは確かなのです。

◆暗殺、暴力による解決

江戸の長い泰平の世では、武士ですら刀の扱いを忘れたと福沢諭吉は皮肉げに振り返っております。それは日本人の荒々しさが減衰した喜ばしい変化でもありました。

しかし、「桜田門外の変」が状況を一変させます。暗殺というテロリズムが世の中を変えると、当時の人々は狂喜しました。その結果、暴力による世直しが正当化されてゆきます。

政治の中心地であった京都は、暗殺と殺傷による血生臭い風が吹き荒れるようになります。維新後も士族反乱が西南戦争まで相次ぎました。政治家の暗殺も続き、大久保利通をも犠牲としたのでした。

桜田門外の変の評価は、現代でも難しい問題です。司馬遼太郎は暗殺が嫌いであると断りながらも、桜田門外の変は歴史を変えたとして肯定的評価をくだしています。

しかし、あとに及ぼした悪影響を思えば、そう単純に肯定して良いとも思えません。

◆「狂狷」の肯定と超解釈、そしてテロへ

『論語 子路編』にこうあります。

子曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進みて取り、狷者(けんしゃ)は為さざる所あり。

デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一 23. 狂狷と中道の人(→link

悪く言えばこうなります。

狂者とは、大言壮語のビッグマウスで、実行力が伴わない人。狷者は臆病なあまり何もできない人。

どちらも極端だけど、中道、つまりはバランス感覚の取れた人と出会えないのであれば、こういう人と行動を共にするしかないということです。

狂者は志が高く、ひとつの目標に熱中して突き進む、革新的なところがある。狷者は悪名を恐れ、悪事をなさず、潔癖だろうから。

吉田松陰がこの「狂狷」に熱中し、そうあろうとしていたことはつとに知られています。

「諸君、狂いたまえ!」

そんな掛け声も、『花燃ゆ』おなじみでしょう。松蔭の教えを汲む山県有朋は「狂介」とかつては名乗っていたほどです。

その源流を辿ると、水戸学も見えてきます。

バランス重視でペコペコするくらいなら、狂と言われようと突き進む!

確かにかっこいいい、人を酔わせます。

しかし「狂」で突き進んでよいのは目的が正しいときだけでしょう。

吉田松陰は間部詮勝暗殺計画に突き進んだため、処刑されました。その「狂」は肯定できるものとは思えません。

◆廃仏毀釈

日本人は宗教に寛容であるとされますが、廃仏毀釈のことを考えていないと思われます。

明治政府の愚行として悪名高い廃仏毀釈は、前述の通り水戸藩で先行して実施されていました。

水戸藩が強引な廃仏毀釈を行なった結果を吟味して欲しかったと思うばかりです。

ちなみに水戸藩における廃仏毀釈の状況は、現代においてもはっきりとしておりません。関係史料が破却されて把握しにくいのです。

◆逆張り精神とアピールテクニック

朱子学が形式的だからこそ、陽明学は違う! そんな思想をアピールしたのが斉昭です。

たるんでいる、甘い連中に喝を入れるとして、斉昭は狩猟で動物を殺傷し、それを見せびらかしました。

大奥中心にそこが嫌われたのですが、「快なり!」とむしろ評価されてしまい、人気者だと思われている側面があります。

『青天を衝け』でもそうした描写がありますが、それでよいのでしょうか?

◆史料や遺構の喪失

明治政府の官僚は、各地で藩政時代の史料を無駄なものとして破棄したがおりました。

城も各地で破壊のうえ、陸軍駐屯地とされ遺構まで破損した例が少なくありません。上田城に至っては建物が遊郭に転用されたほど。日光東照宮も破壊しようとし、明治天皇が止めました。

こうした史料や文化財破壊は、水戸藩が先行していました。

◆辿れない歴史

幕末史を調べていると、風通しのよさが藩により異なることに気づきます。長州藩の場合、勝者は顕彰される一方で、俗論派の事績はたどりにくい。会津藩の場合、敗北することで一致団結したためか、そういうことはありません。会津藩は観光のために歴史を喧伝するという非難もありますが、それも伝える熱意と一致団結、隠蔽体質があっては実現できないのです。

突出してわかりにくいのが水戸藩です。

水戸藩は藩内抗争により、弘道館の一部が焼けました。天狗党と諸生党両者の憎悪がなかなか解けず、検証が進まなかったとされるのです。

幕末の水戸藩は、天狗党と諸生党の激烈な内部抗争により、人材が尽きました。

しかし、水戸学は長州藩の吉田松陰、薩摩藩の西郷隆盛らが継承し、残されていったのです。

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帰ってきた水戸学

水戸学は明治以降も、滅びることなく残り続けました。

そして時折、熱烈な水戸学信奉者が世に姿を見せます。フランス革命由来の右翼、左翼という分け方だけでは、日本の思想は理解できません。儒教、そして水戸学も背景として存在します。

水戸学を信奉し、「昭和維新」を掲げた北一輝。

そして「楯の会」を結成し、割腹自殺を遂げた三島由紀夫。

水戸学は、皇国史観を形成するものであり、第二次世界大戦後となるとタブー視されてきました。

水戸藩幕末史のたどりにくさ、水戸学について学ぶ機会がないため、かえって危険性が理解されにくいのかもしれません。

けれども冷静に、水戸学信奉者のたどった運命を考えていただきたいと思うのです。

2021年大河ドラマ『青天を衝け』では、徳川慶喜が主役であることもあってか、彼周辺の人物が肯定的に描かれております。

斉昭も、東湖も、そして小四郎も。

主人公の栄一は、父を超えたいと語った小四郎を励ましました。

その先に、父の背中を追いかけた彼のたどる悲運が、ドラマではどのように描かれるのでしょうか?

水戸斉昭は、桜田門外の変で怨敵・井伊直弼が暗殺され半年もたたぬうちに、心臓破裂による死を迎えます。

そのとき、もはや水戸藩は解体へ向け沸騰しつつありました。藩主ですら、コントロールできないほどでした。

老公と敬愛されていた斉昭の意思すら聞かずに、暴走する藩士たち。その暴風の中に飛び込んでいった小四郎たちは悲運に翻弄されてゆきます。

小四郎の父・東湖と斉昭が醸成した水戸学は、危険なものと化していました。

もとから相手の反論を許さず、己の正義をかざし、黙らせるような過激さがあった。

パフォーマンス重視。勢いよく振る舞う言動で人を魅了する。現代のポピュリズムに通じるものがある。

アンチであることが目的となる。水戸学は御三家でありながら冷遇した徳川宗家へのアンチが満ちていました。

仏教嫌いを辿っていけば、仏教の影響が濃かったの日光東照宮が見えてくる。そもそもが将軍の権威否定のために尊皇思想を持ち出したように思えなくもない。

その斉昭の逆張りから生じた徳川宗家へのアンチありきの思想が、実際に倒幕において機能し、斉昭の息子である慶喜が対峙することになるとは、皮肉の極みです。

目の前の敵を倒し、マウンティングし、レスポンスバトルを制し、エコーチェンバーを形成する。

逆張りが得意だから、ヴィーガンに焼肉画像を送りつけて「快なり!」とバズって浮かれる。

そんな現代でも通じそうな洗脳テクニックが水戸学にはあるようにすら思えます。水戸学には人を熱狂させ、結束させる力はあるのでしょう。

しかし、結束した先に何をするのか?

そこがなければ、有り余る攻撃力を周囲にぶつけ、結果として凄惨な内乱が起こり流血が引き起こされます。その弊害を認識せねばならないのでしょう。

そうでなければ、帰ってきた水戸学によって、危険極まりない災難に陥るかもしれない。

『青天を衝け』を楽しむためには、その危険性を認識することも大事だと思う次第です。

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文:小檜山青

【参考文献】
『藤田東湖 (人物叢書)』(→amazon
『烈公水戸斉昭』(→amazon
『近代日本の陽明学』(→amazon
『儒教が支えた明治維新』(→amazon
『皇国史観』(→amazon
『「明治礼賛」の正体』(→amazon
『儒教と近代国家: 「人倫」の日本、「道徳」の韓国』(→amazon
『水戸学と明治維新』(→amazon
『徳川慶喜のすべて』(→amazon
『幕末史』(→amazon
『暗殺の幕末維新史』(→amazon
『吉田松陰190歳』(→amazon
『幕末時代劇、「主役」たちの真実』(→amazon
『アジア主義全史』(→amazon
『知のモラル』(→amazon
『戦争の古代中国史』(→amazon

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