とても幕末の薩摩藩士と思えないほど平和的だった大河ドラマ『西郷どん』。
主人公は常に人道的で平和主義。
そうなると、まず間違いなく「登場しない」であろう薩摩藩士が次の二人であり、
・益満休之助(ますみつ きゅうのすけ)
・伊牟田尚平(いむだ しょうへい)
実際に登場しませんでした※1。
益満は西郷隆盛の信任も篤く、山岡鉄舟の護衛も務めたほどの藩士。
維新混乱期の中で活躍し、過去の映像化作品にも出ています。
例えば1979年放映の『風の隼人』では、『西郷どん』ナレーターである西田敏行さんが演じましたが、そんな藩士がドラマに登場しないのはなぜか?
というと彼らは、史実の西郷が強引に押し進めた【武力倒幕】に深く関わっていたのです。
悪徳将軍・徳川慶喜――ドラマではその愚行を止めるためとされた武力倒幕。
史実では「下策(よろしくない策)」とされながら、西郷は、なぜそんな策に走ったのか?
考察してみましょう。
※1薩摩御用盗が描かれた2023年の正月時代劇『いちげき』では重要人物として登場しました(以下は、そのレビュー記事です)
幕末の熱気を庶民目線で描いた正月時代劇『いちげき』が痛快傑作だ!
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幕府は無能にあらず むしろ優秀なり
『西郷どん』に限らず、幕末関連作品でありがちな誤解が次のような【幕府無能説】です。
何をどう言っても幕府は敗者です。
ゆえに愚か者に仕立てられがちで、異国に対して何もしてないかのように映りますが、そんなことはありません。
開国以来、各国との条約締結や外交などに追われ、しかも幕臣の中には、外国人からその有能さを驚かれたりする者もおりました。
そんな中、引っ張りだことなった青年がおります。
オランダ系アメリカ人の、ヒュースケンです。
江戸時代、幕府の通詞(通訳のこと)はオランダ語を学んでいた一方、英語学習は始まったばかり。
そんな状況でしたので、オランダ語と英語ができるヒュースケンは、母国アメリカ以外からも通訳依頼が殺到したのです。
ヒュースケンは日本がすっかり気に入り、愛するようになっておりました。
しかし、それも長続きはしません。
1861年1月14日(万延元年12月4日)。
彼は仕事帰りの途中で、暗殺団に斬殺されたのです。
もしも彼が生きていたら……そう思わずにはいられません。
オランダ語ができるヒュースケンがいれば、様々な交渉をもっとスムーズに進められたはずです。
幕末はこうした攘夷事件が相次ぎ、幕府は多額の賠償金を支払うことになりました。
その結果、年貢まで上がり、庶民も苦しい生活を強いられる羽目になっているのです。
特に、関西を中心にして庶民の反幕感情が高まった背景には、そうした理由がありました。
ただし、こうした庶民の期待は、空振りに終わります。
それというのも、賠償金の支払いは明治政府成立後も引き継がれたのです。
明治政府は、不平等条約の解消を何としても叶えたいと願っておりました。
しかし、この不平等条約。
幕府の弱腰だけが原因ではありません。
岩瀬忠震のような敏腕外交担当者が締結した当初は、そこまで不平等と言えるものではなかったのです。
西郷はヒュースケン暗殺犯を知っている
ではなぜ、歴史の教科書で話題になるほど不平等な条約とされたのか?
答えはかなり単純。
「アンタの国にいた、ウチの国の人間が、襲撃されて殺されたんだけど!」
そう言って怒鳴り込んで来る外国に対し、幕府が譲歩せざるを得なかったのです。
例えば薩摩藩が生麦事件を起こした際、イギリス側は「幕府と薩摩、二カ所から賠償金を取れる!」と考えました。
ここで一つ冷静になって考えてみたいと思います。
なぜ外国は、攘夷事件があれば日本(幕府と諸藩)から賠償金を取れると考えたのか?
すでに答えは提示しておりますように、ヒュースケン殺害事件のような外国人を標的にしたテロ=攘夷が、その契機。
学校で習う「幕末の歴史」とはまるで違う話しですので、困惑されるかもしれません。
そして、そのヒュースケン殺害実行犯の中にいた人物こそが、冒頭で挙げた薩摩藩士の益満と伊牟田でした。
彼らは実行犯として捕縛されることもありません。
藩内ではむしろ、攘夷を実行した藩士として一目置かれるほどでした。
実際、ヒュースケン暗殺犯の二人は、薩摩で処罰を与えられることはありません。
要は、西郷も彼らの暗殺は知っていたということです。
それどころか、西郷は彼らのテロ実行の腕を見込んで、明治維新前夜の慶長3年(1867年)、とある重要任務に就かせているのです。
当時の認識でも武力倒幕は「下策」
二人の極秘ミッションから、少し時を戻しましょう。
幕末も大詰めとなった慶応年間。
薩長同盟も秘密裏に締結され、長州藩を嫌った孝明天皇も世を去り、一会桑政権から会津と桑名は後退しました。
薩長側の政治的巻き返しの舞台は整います。
「さあここから倒幕だ! 戊辰戦争だ!!」
歴史を知っている現代人からするとそう思ってしまいますね。
でも、実は異なります。
『西郷どん』では、徳川慶喜の危険な野望を阻止するため、武力倒幕をすべきだと西郷が決断しましたが、これはあまりに苦しいこじつけ。
当時は、政治的な駆け引きで政権交代はできたはずで、それが上策であるという見解が、倒幕勢力内ですら圧倒的でした。
天皇による統治(王政)を行いながら、薩長ら倒幕勢力が政権を握る――坂本龍馬が所属する土佐藩は、まさにこうした考えのもと【大政奉還】を推進していたのです。
なんせ土佐藩は後に、薩摩藩の武力倒幕方針を知ると反発しております。
両者の仲は険悪となり、明治以降は藩閥政治において激しく対立することにもなりました。
一方、倒幕勢力を支援していたイギリスは、薩摩に上等の武器を販売しています。
そんなイギリスですら、内戦で荒れ果てた国よりも、スムーズに政権交代をしたほうが自由貿易相手としては向いているはずだと分析。
のちにイギリスは、西郷が徳川慶喜を殺害するのではないか?と察知し、それを止めに入っているほどです。
岩倉具視は慶応2年(1866年)の【時務策】で、倒幕策の分析をしています。
それは次のようなものでした。
上策:宮廷の権力を後退させる
中策:幕府から権力を削除する
下策:武力倒幕
武力倒幕は、あくまで下策!
と、実は薩摩藩ですら、国元を中心に武力倒幕に反対していたほどだったのです。
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