幕末・維新

徳川13代将軍・家定の生母「本寿院」嫁・篤姫との関係は良好だった?

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篤姫の輿入れ、真の意味とは?

家定は、成人した家慶唯一の男子です。

とはいえ、彼も身体頑健とは言えませんでした。

家慶はあれだけ子を為しながら、唯一跡継ぎとできた男子がただ一人。

こうなると、家定にはできれば10人でも20人でも欲しい……というのが周囲の本音です。

しかし、家定は正室を2人立て続けに亡くしてしまうという不幸が続きます。側室との間にも、子ができません。

そこで白羽の矢が立ったのが、篤姫です。

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島津家と将軍家には、以前から婚姻関係が続いてきました。

第5代藩主・島津継豊は、徳川綱吉の養女・竹姫浄岸院)を迎えております。

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その竹姫の影響を受け、リッチでゴージャスな生活を送り、薩摩を借金地獄にたたき落としたのが、第8代藩主・重豪。

財政難なんてドコ吹く風とばかりに、徳川宗尹の娘・保姫を迎えております。

さらに重豪は、娘の茂姫(広大院)を徳川家斉に嫁がせ、こんなに縁が深い将軍家と島津家なんだから、ここは是非にでも、と売り込んだわけですね。

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うちの姫ならば、丈夫な跡継ぎができる、というわけです。

写真を見ればわかる通り、篤姫はなかなか精神力が強そうな顔立ちをしています。

篤姫/wikipediaより引用

お姫様らしい華奢な愛らしさよりも、健康美人タイプ。

ちなみに原作版『西郷どん』でも、体格のよい女性として描写されています。

彼女に限らず、肉食文化が盛んな薩摩出身者は、体格が発達している傾向にあります。篤姫は体格がよく、声も迫力のある女性でした。

映像化されると、大抵は華奢なお姫様タイプになってしまいますけれども、実際のところは見た目も精神面もかなりタフでした。しかし……。

送り込む島津家としても、本気で篤姫に子ができるとは考えていなかったと思われるフシがあります。

仮に生まれてきたとしても、当時は

・男児である
・健康である
・成人する

という難しい三条件をクリアせねばならないのです。それこそ幸運に幸運を重ねないと無理な状況。

篤姫および彼女の侍女、いわば「チーム篤姫」に期待された最大の目的は、【大奥の風向きを変えること】でした。

 

将軍継嗣問題という対立軸

さて、その篤姫がいよいよ大奥に輿入れします。

彼女のミッションは「将軍継嗣問題において、一橋派を有利にすること」でした。

「将軍継嗣問題」とは、徳川家定の次の将軍を誰にするか、ということで、焦点は次の2つ。

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ここで注意したいのは「この後にお起きる安政の大獄は、一橋派の粛清であって、倒幕派の粛清ではない」ということです。

この一橋派の中に、後に倒幕派に回る勢力が属しているため「一橋派=倒幕派」と思われがちです。

しかし、決してそうではありません。

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話を戻します。

篤姫のミッションは重要でした。

というのも、大奥は南紀派の牙城だったからです。

熱心に南紀派を推すというよりも、むしろアンチ一橋派ゆえに南紀派に回っている構造でした。

理由は、一橋慶喜の父である徳川斉昭が不人気だったから、です。

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