こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【ヒュースケン】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
いざ日本へ!
このとき、ハリスは53才。
ヒュースケン、23才。
貧しい移民で、職を転々としたヒュースケンは、ハリスの目から見れば無邪気と言いましょうか。深い思慮を感じさせない青年でした。
「私が思うに、ヒュースケン君の気にすることときたら、いつ食べ、いつ飲み、いつ眠るかだけ。その他のことを気にする様子もない」
ハリスはヒュースケンのマイペースで暢気な性格に、当初は苛立ちすら覚えようです。
後のことを思えば、彼が慎重で神経質であったほうが、悲劇は起こらなかったかもしれません。
明るく無邪気なヒュースケンは、日本に到着すると、好奇心いっぱいのキラキラした目と心で周囲を観察します。
「日本に来て、まず下男を雇った。今度は馬も手に入れたぞ! この調子だと、馬車を持って皇帝の姫君に結婚を申し込むことになるかも。そうなったらぼくは植民地総督だね」
こんなことまで書き記すヒュースケン。当時、馬車を持つというのは現在で言うところの高級車と運転手を抱えるくらい、凄いことでした。
最低賃金でやっと働いていた若者が、いきなり高級車を手にした――今で言うならば相当な出世でしょう。
貧しい時代では考えられないほど生活の質が上がり、舞い上がっている青年の様子が想像できるではありませんか。
このあと彼を待ち受ける運命を考えると、暗い気持ちになりますが……。
日本に愛おしさを感じるヒュースケン
ハリスとヒュースケンは、自分たちの使命を痛感していました。
日本へ一番乗りしたからには、他国に先んじられてはなりません。
何としても、一番乗りで日本の扉をこじ開けたい――そんな使命感が重くのしかかっていました。
とはいえヒュースケンは根っからの陽気者で、楽観的。澄み切った瞳で周囲を観察し、日本での滞在を楽しむことを忘れません。
江戸に向かう途中で日本人を見たヒュースケンは、その態度に驚きます。
道ゆく人々は、異国人である彼らに対し、敵意を向けてはいません。
ヒュースケンは、キリスト教徒の迫害について知っていましたから、驚きました。
警戒心は解け、親しみすら感じ始めます。
「日本人はぼくたちを嫌ったり、憎んでいたり、しない! きっと保守的で頑迷なダイミョーたちが、善良な民にそう思い込ませていただけなんだ」
来日してから日数が長引くにつれ、ヒュースケンは日本の光景や、人々に対して深い愛情すら覚えるようになります。
素朴で、飾り気が無く、子供たちの無邪気な笑いが満ちていて、どこにも悲惨さがない。まるで天国のような国というのが、ヒュースケンの日本評でした。
おそらく彼は、最下層の人々が住む場所を見てはいないのでしょう。
攘夷に思いをたぎらせた武士たちの会話を見聞きしたこともなかったのでしょう。
彼にとって、やっと成功を手にした土地であるというバイアスもあったとは思います。
それを差し引いたとしても、ヒュースケンが日本に心から愛着を抱いていたことは確かです。
生涯純潔を貫いたハリスとは異なり、ヒュースケンには愛した日本人女性もいました。
お福、おきよ、おまつ、おつるという女性の名が伝わっています。
彼の著書『The Japan Diary, 1855―1861』New Brunswick, 1964(邦訳『日本日記』)には、彼が見た日本の姿がありありと記されています。
※続きは【次のページへ】をclick!