主人公の渋沢栄一と渋沢成一郎(渋沢喜作)が故郷へ戻り、兵士を募集していたのです。
あの場面、ちょっと不思議に思いませんでしたか?
『農民を兵として募集するってどういうこと?奇兵隊以外にもそういう組織はあったの?』
その疑問は2023年1月3日に放送されたNHK正月時代劇『いちげき』によって、少し晴れたかもしれません。
江戸で暴れ回る薩摩御用盗――彼らに対抗するため組織されたのがまさしく農兵であり、染谷将太さんや町田啓太さんが演じていましたが、史実に目を向けても、彼らだけではありません。
実は当時、日本各地に農兵が存在していたのです。
特に治安悪化が深刻だった関東地方はその傾向が顕著であり、だからこそ渋沢栄一もスカウトができたというわけで……本稿では、そんな「幕末の農兵」事情を振り返ってみたいと思います。
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兵農分離が崩れゆく
江戸時代初期、泰平の世を築いた幕府は「暴力による解決」を排除するよう努めました。
それが江戸時代の中期ともなると、武士があまりに戦うことを忘れてしまい、逆に「だらけきっている」と批判されるようになります。
19世紀に入ると、世界も含めて社会情勢が急速に変わっていきます。
航海技術の発達やナポレオン戦争の終結により、西欧の目線が東洋に向けられたことに、幕府も気付き始めたのです。
ヨーロッパからアジアへ。
逆に日本でもヨーロッパに目を向けるようになり、19世紀以降の開明的な日本人はナポレオンに憧れ伝記を読み、出版してきました。
※以下は幕末におけるナポレオンの考察記事となります
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このナポレオン戦争に、大きな特徴があったのです。
ナポレオン戦争の大きな特徴とは日本における農兵に関わってきます。
それまでの戦争――ヨーロッパにおける前近代戦争とは、以下のような階層で成り立っていました。
貴族出身の将校。
金目当てで戦う傭兵。
兵士に志願して牢獄送りを免れた、犯罪者まがいのごろつき。
ところがフランス革命が起こると、もはやそう言ってはいられません。
階層を問わず徴兵し、将校を登用する時代が訪れます。
ナポレオンは革命政府のカルノーが作り上げた大陸軍(グランダルメ)を率い、ヨーロッパを制覇しました。
以降、世界各国の軍隊もこれに倣うようになり、日本も続きます。
ナポレオン伝記に酔いしれるにとどまらず、徴兵制度を意識したのです。
こうした外圧に加えて国内の変化もありました。
人々の不満が鬱積していたのです。
自衛のため豪農たちが武装化
幕藩体制の行き詰まりから各地で財政が悪化するようになり、天候が不順になれば飢饉も発生。
産業や新田開発は限界を迎え、人々は徐々に不満を募らせるようになります。
そうした不満は一揆のみならず治安悪化を招き、特に19世紀の関東は急激に荒廃してゆきました。
新選組でお馴染み、超実践的な剣術【天然理心流】が流行るのも、こうした状況からです。
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関東地方の豪農たちは、自分たちの安全を確保するため道場を設置。
自発的に開かれることもあれば、藩が開設することもあり、剣術のみならず、漢詩、俳諧、書画、蘭学といった教養を学ぶこともできました。
志士になりてえ!
武士になりてえ!
天下国家のために働きてえ!
そう願うのは何も渋沢栄一らに限ったことではなかったんですね。
前述の通り、彼らのような青年を訓練し組織する試みは、各藩で行われていて、渋沢栄一がスカウトに向かった背景には、そんな世の動きがあったのです。
なお、こうした農兵を鍛錬したのは代官でした。
『青天を衝け』では栄一を苦しめる悪代官が憎々しげに登場しておりましたが、あれはあくまで栄一目線の描き方です。
悪代官のイメージは時代劇が流布したものであり、大半の代官は真面目に働き、地方行政の要を担っていました。
しかし武装した組織は危険性も伴います。
元治元年(1864年)【天狗党の乱】では、強奪を行う天狗党に対抗し、武装した住民が抵抗をみせ、事態は泥沼化しました。
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水戸藩内においては天狗党に対抗する諸生党もあり、この両派閥の争いは激化。
民を巻き込み、新政府の停戦命令が出るまで、一年以上も続いています。
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