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【キヨッソーネ】
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西郷隆盛を描き大村益次郎も
似たような方法で、キヨッソーネは西郷隆盛の肖像画も描きました。
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既に西郷は亡くなっていましたし、もちろんキヨッソーネは面識がありません。
随分な無茶振りでしたが、彼は諦めませんでした。
大蔵官僚で薩摩出身の得能良介(とくのう りょうすけ)に相談し、弟の西郷従道や、同郷の大山巌をモデルとして西郷隆盛の肖像画を完成させています。
他にも大村益次郎などの肖像画を手がけました。
つまり我々が明治前後の人々の顔を思い浮かべるときは、だいたいキヨッソーネの作品によるイメージだということになります。
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絵画における司馬遼太郎のようなものでしょうか。
そう考えると、もっと知名度があってもいいですよね。
そしてその他、印紙や切手、紙幣などに使われる版画の多くを手がけています。
この時代の紙幣には藤原鎌足など、古代の人物の肖像が多く使われましたが、ほとんどはキヨッソーネが当時の省庁のお偉いさんをモデルに描いたものです。
面白いところでは、「神功皇后のモデルに、紙幣寮印刷部の女性職員を使った」なんて話があります。
あくまでモデルですから、多少変えた部分はあるでしょうけれども、その女性職員はどんな方だったんでしょうね。美人だったことは間違いなさそうですが。
浮世絵や甲冑など15,000点もの日本美術を
キヨッソーネは雇用期間が終わっても、亡くなるまでずっと日本で過ごしました。
16年の滞在で、日本に相当な愛着を持っていたようです。
政府からは莫大な額の退職金と終身年金、そして勲三等瑞宝章が与えられたのですが、貯めこんだりぜいたくはせず、日本の美術・工芸品を購入していたとか。
その執念すさまじく、浮世絵・銅器・刀の鍔・大仏・甲冑などなど、合わせて1万5,000点にもなるといいます。
知り合いの外交官に浮世絵の本を翻訳してもらい、それを頼りに研究するという熱の入れようでした。
これらの収集品は故郷イタリアに送られ、ジェノヴァ市立キヨッソーネ東洋美術館にまとめられています。
その他のお金は寄付していたそうですが、それでも亡くなった時点で現在の6,000万円(!)くらいの遺産があったとか。
当時日本の美術品が投げ売り状態だったのか、キヨッソーネのやりくりがうまかったのか……。
お金は遺言により、使用人たちに配られたそうです。争いの形跡がないので、分配についてもきちんと指示があったんでしょうね。
自分の役目を全うした後、やりたいことをやりきって人生の幕を下ろしたというのは、実にうらやましい生き様です。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
エドアルド・キヨッソーネ/wikipedia
キヨッソーネ東洋美術館/wikipedia
明治神宮(→link)