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【借金地獄の薩摩藩】
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悪夢の「宝暦治水事件」
まさに踏んだり蹴ったり状態の薩摩藩。
しかし、幕府はそんなこと知ったこっちゃありません。
「大大名の島津家ならば、御手伝普請をバッチリとしてもらわねばなりませんなあ」と常にプレッシャーもかけられます。
「御手伝普請」とは、幕府のすべき工事を他藩に任せることです。
江戸城、大坂城といった城普請をはじめ、江戸時代は様々な土木工事が諸藩に命じられました。参勤交代とセットで、大名の力を削ぐ手段としても利用されていたのです。
そんな中でも最大にして最悪のものであったのが、宝暦3年(1753年)に着工した「木曽川治水工事」です。
木曽三川の悲劇・宝暦治水事件~そして薩摩義士と家老の平田靱負は腹を切った
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詳細は記事に譲りますが宝暦治水事件の要点をつまんで説明しますと……。
宝暦治水事件
もうめちゃくちゃです。
しかも家老の切腹にとどまらず、参勤交代の折、視察に立ち寄った藩主・島津重年もストレスがたまったのか、27才の若さで病死。藩の財政に大きな影響を与えます。
蘭癖(西洋文化オタク)で知られる島津重豪が跡を継いだのでした。
重豪の代で極まる借金地獄
重豪の生育過程において影響を与えたのは、前述の島津継豊の継室となった竹姫でした。
公家の姫君として京都で生まれ、将軍の養女として江戸で育った竹姫。そんな彼女の影響を受けた重豪は贅沢を好むように。
重豪は贅沢趣味の殿様というだけではありません。将軍家との縁談を進めることで存在感を増し、藩政改革にも取り組みました。
そして島津家の存在感が大きく増すと同時に、問題は膨らんでいきました。
借金です。
総額で500万両。
現代への金額換算は難しいながら5000億円とも言われるほどにデカいものです。
ぶっちゃけ、こんな借金を抱えたままで薩摩が幕末の雄藩として活躍できるワケがない。
にもかかわらず、現実的には先頭切ってリードした。
借金は一体どうしたの?
と、それを改革し、薩摩に希望の光を灯したのは調所広郷(ずしょひろさと)です。
大河『西郷どん』では竜雷太さんが演じ、幕府の阿部正弘(藤木直人さん)と島津斉彬(渡辺謙さん)に詰められて、服毒自殺をした人物ですね。
史実における彼の話は以下の記事に譲らせていただくとして、
財政を立て直したのに一家離散!調所広郷が幕末薩摩で味わった仕打ち
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確かに調所のやり方はかなり強引な手法で賛否両論ありますが、ほとんど自己破産でアウトだった藩財政を立て直したのは彼の偉業であります。
※ただし彼の一族は迫害され、哀れな生き様を強いられます
★
ここで最初に戻りますと、大河ドラマ『西郷どん』では、主人公の西郷隆盛が重税に対して憤りを見せていました。
悪いのは島津斉興でも由羅でも調所広郷でもなく、実は藩が成立した頃から続く、苦難の歩みだったのです(もちろん島津重豪の影響もあります)。
斉彬と久光の父・島津斉興~藩財政を立て直し薩摩躍進の礎を築いた功績に注目
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ドラマに限らず各種フィクション作品(たとえば『青天を衝け』でも久光や西郷などが登場しますね)で、そうしたことを想像しながら見てみると、また違った味わいがあるかもしれません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
『鹿児島県の歴史 (県史)』(→amazon)