黒船来航の2年前にホエールボートに乗ったジョン万次郎が【琉球】に漂着しました。
もともとは漂流していたところをアメリカの捕鯨船に救われた万次郎。
それから10年間、アメリカで学び、捕鯨船の航海士として求められる自然科学系の知識を吸収しておりました。
一方、当時の日本は鎖国の真っ最中。
帰国すれば死刑もありえる中、望郷の念を募らせて、彼は戻ってきます。
そこまでの経緯は、ジョン万次郎の生涯を描いた以下の記事に詳細がございますので、よろしければ合わせてご参照ください。
14才で無人島に漂流しアメリカ捕鯨船で米国に渡ったジョン万次郎の劇的な生涯
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帰国を果たした万次郎は琉球の薩摩役人に捕らえられます。
その番所で、様々な訊問を受けました。
なぜ遭難したのか?
アメリカとはどんな国か?
社会、軍事、科学技術、地理、風俗、暮らし、生活習慣等をすべて――。
大河ドラマ『西郷どん』では、西郷隆盛と大久保利通が四苦八苦して、母親のことまで聞き出して、やっと口を割らせていましたが、史実では、薩摩に来る前にすべて把握していたのですね。
その後、7月29日。
万次郎は、土佐の漂流民の伝蔵・五右衛門兄弟とともに、鹿児島にまで連れて行かれ、4年後、ある画期的なことを成し遂げます。
安政2年(1855年)6月9日、日本初となる国産の蒸気船「雲行丸」の試運転に成功させたのです。
一体なぜそんなことが可能だったのか。振り返ってみましょう。
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牢獄どころか超VIP待遇
ジョン万次郎は、鹿児島に送り届けられてからは超VIP待遇でした。
場所は西田町下会所に滞在。
悪質な犯罪者ではなく、琉球上陸から既に結構な日数が経過していましたから、和服に着替えていたことでしょう。
「大河ドラマでは、牢獄で洋服を着ていたけど、どういうこと?」
そこはフィクションならではの見せ方ということでしょう。そもそもドラマでは「謎の囚人」とされていましたしね。
史実では、薩摩藩もその正体を把握したうえで、厚遇しています。
ドラマでは西郷家で素朴な御飯を美味しそうに食べていましたが、史実では酒も食べ物も綺麗な衣服も、なんでもありました。
いわば最高級のスイートルームで、おもてなし三昧をされたようなものです。
ポイントは、
・牢獄どころか超VIP待遇
・殺す意味はそもそもない
この2点ですね。
「万次郎が素性を隠そうとし、藩による毒殺を畏れている」というドラマの描写もいささか不自然でした。
薩摩側に、万次郎を殺すメリットはありません。
幕府の要請を引き伸ばす
とはいえ、幕府の目から万次郎を隠し通せるわけもありません。
「国禁をやぶった者は最寄りの遠国奉行に引き渡すべき。薩摩の場合は長崎奉行です。さっさと引き渡すように」
かくの如く、幕府は命じてきました。
しかし、薩摩藩としてもアッサリ引き渡すワケにはいきません。
アメリカの最新情報や貴重な技術を抱えている万次郎を、なんやかんやと理由をつけて滞在させるのです。
7月29日から9月18日まで、実に48日間。
ドラマで描かれたように、
西郷や大久保と知り合う
↓
母親を気にしているらしい
↓
土佐藩に連絡して、母親の安否を確認する
↓
万次郎にそれを伝えて喜ばれる
という展開があったとしたら、かなり大急ぎで探ったのかなぁ、という気がしますね。
実際のところ、薩摩に時間的余裕は一切ありませんでした。
斉彬が知りたかったことは
斉彬は、万次郎の滞在場所に藩士の田原直助船大工3~4名を毎日派遣しました。
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そして、こんなことを聞いたのです。
・造船術
・捕鯨術
・航海術
万次郎はこの依頼に応じました。
スクーナー型帆船(2本以上のマストに張られた縦帆帆装を特徴とする帆船の一種・19世紀に全盛期を迎える)や捕鯨船の図面を描き、模型を作ります。
このとき、島津斉彬自ら接見したかどうかは不明です。
西郷隆盛や大久保利通らと出会っていたら、何らかの記録がありそうですが、これもありません。
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万次郎と彼らが会話するくらいならば、ドラマの創作範囲内としてはありかな、という気もしますが、流石に西郷家に滞在するのはやりすぎな気がします。大久保家には和英辞典らしきものもありました。
しかし、当時の日本人が唯一習得できた西洋系言語はオランダ語のみです。
ドラマとはいえ、大久保家に和英辞典があるというのは、かなり不自然な設定でした。
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