嘉永6年(1853年)にペリーが初めて来航したとき、日本人はどんな反応をしたか?
黒く、大砲を備えた蒸気船に右往左往。
近隣の漁村民から幕府のお偉いさんまで「あ、あの外国人はなんだ! 誰か追い返せ!」とばかりに慌てふためく――そんなイメージをお持ちかもしれません。
確かに多くの民はドギマギとしたことでしょう。
しかし、幕府は違います。
外国船が日本にやってくるのは事前情報として幕府に伝わっており、あらかじめ全国各地に伝達済み。
彼らとしては、こんな感じでした。
『来ちゃったね……本音は来て欲しくなかったけどやっぱり着いちゃったか(´・ω・`)』
なんせ幕府側は、上陸地点に通詞(通訳)を待機させていたほどです。
黒船に近づいた通詞は言いました。
「I can speak Dutch.(私はオランダ語が話せます)」
HAHAHAHA!
いきなりジャパニーズジョークかい。今まさに、あなたは英語を話しているじゃないか~!
なんて、ペリーをはじめとしたアメリカ人はそんな風に思ったかもしれません。
江戸期には出島を通じてオランダとの交易はありましたからね。
ともかく、この時点で幕府は英語のできる通詞を準備していたわけです。
彼らは一体どんな方法で英語学習に取り組んでいたのか?
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オランダ語だけでよかった時代は終わった
まずは時代を250~300年ほど前に遡ります。
2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、柳楽優弥さん演じる龍雲丸がポルトガル語の通訳になろうとしていました。
なぜなら交易が最も盛んだったからです。
戦国時代には、彼のようにポルトガル語やスペイン語を習得する人々がいたわけですね。
そこから時代は下りまして、江戸初期の幕府は、プロテスタント国のオランダとイギリスをのぞく西洋諸国との交易を行わないことにしました。
カトリックの布教や奴隷貿易に手を焼いていたからです。
合戦でかっさわれた日本人が、九州の各拠点から、主にマカオを通じて世界へバラ撒かれました。
しかし、プロテスタント国であれば出入りは可能です。
徳川綱吉の時代には、ドイツ人のケンペルが日本で見聞を深めました。
もしも、イギリスとの交易が続いていたら?
幕末に至るまで、英語を話すことのできる通詞はいたことでしょう。
しかし、徳川家康とそのお気に入りの家臣であったウィリアム・アダムス(三浦按針)が世を去ると、イギリスとの関係は疎遠になり、ついに交易を行うことはなくなりました。
それから長いこと【通詞はオランダ語さえできればいい!】という状況が続き、やがて変化が訪れるのでした。
時代的には、幕末ちょっと前という感じです。
捕鯨船、漂着船……黒船以前の外国船
オランダ語だけではもはや時代遅れ――。
そんな状況は、19世紀前半からやって来ました。
世界中で航海術が発達。船の性能も飛躍的に向上し、長い距離の航海が可能になりました。
そしてこの時代ともなると、とある産業が盛んになっていたのです。
捕鯨です。
クジラ漁ですね。
石油以前、油といえば鯨から捕れる「鯨油」が利用されていました。
遠い海まで船で向かう捕鯨船は、不幸にして遭難することもありました。
真水や食料を求めてやむなく上陸するイギリス人、アメリカ人としましては「太平洋の途中で補給できれば便利なのに」と考えてしまうのは当然のこと。
実際に上陸してしまうケースもありまして、そんな時に揉めるのは、相手としても厄介なことでした。
また、ジョン万次郎のように、漂流した日本人を救出して送り届けようとしたものの、砲撃して追い払われる例もあります。
相手からすれば、日本のそういう態度どうなのよ、という話なのです。
黒船がイキナリやってきた印象をお持ちの方もおられるかもしれませんが、実は以前からタイムリミットは近づいていたのですね。
これについては幕府も認識していました。
2018年正月時代劇『風雲児たち』に登場したような、蘭学に関心を持つ知識人もそうでした。
海岸沿いに暮らす漁師や人々もしばしば「黒船」を目撃しており、危機感を抱いていたのです。
どう英語を学べばよい?と、そんな時に密入国者が
さて、江戸時代の語学エキスパートというのが【通詞】という人々になります。
彼らは現在の通訳とは異なりました。
まず世襲です。
きついですね。語学が苦手だから通詞にはなりません、というような職業選択の自由はありません。
逆を言えば、語学が堪能だからと言ってなれるわけでもありません。
理不尽ですが封建制度のあり方ですから仕方ないです。
もうひとつは……。
もしも現代で「あなたは英語通訳ですが、顧客に中国の方が増えたので、中国語もマスターしてください」と言われたらどうなります?
当然ながら「フザけんな!」となりましょう。
しかし、江戸時代にそんな選択肢はありません。
とにかく外国人との会話を飜訳しなければいけないのが通詞のオシゴト。
そんなわけで、幕末にかけての通詞は、先祖とちがって他の言語もマスターしなければいけなかったのです。
しかも、当時の幕府は実に“欲しがりちゃん”でありまして。
オランダ語に加えて英語、ロシア語、満州語等を習得して欲しいと考えるようになるのです。英語圏の者だけではなく、ロシア人漂着者も増えていたからですね。
一方で、悩みどころでもありました。
正式な国交がないにもかかわらず、積極的に言葉を学ばせるというのは矛盾した行動でしょう。
英語については19世紀初頭からオランダ経由で通詞が学び始めていたものの、いざ発音となるとネイティブの指導が必要です。
そんな悩みを抱えた幕府に、あるニュースが飛び込んで来ます。
嘉永元年(1848年)、ラナルド・マクドナルドというアメリカ人青年が密入国したというのです。
「よっしゃ、こいつから英語を学ぼう、アッヒャー!」
一も二もなく幕府は飛びつきました。
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