2月8日は針供養の日。
12月8日に行う地域もありますが、今回はこの日のこととしてお話させていただきますね。
字面だけで何となくどんなことをする日なのかは伝わってきますけれども、歴史的経緯とともに見てみましょう。
宗教など関係なく江戸時代頃から始まった
もともと2月8日は「事始め」。
12月8日は「事納め」として、何かを始めたり納めたりする日でした。
魔除けの飾りつけをしたり、神仏のお迎えをしたりといったいろいろなしきたりの中に、針供養も含まれていたのです。
そもそも、鉄であんな小さく細いものを作るのは大変ですから、室町時代くらいまでは針は貴重なものでした。
「豊臣秀吉は若い頃、旅をしながら針売りをして稼いだ」という逸話もありますし、おそらくは戦国時代までに生産と流通が大きく広がったのでしょうね。この逸話の審議は別として。
針供養が行われるようになったのは、江戸時代のことといわれています。
家庭でも針仕事をする人が増え、それにともなって錆びたり折れたりする針が急速に増えたからなのでしょう。
この日には針仕事を休み、使えなくなった針を寺社へ収めたり、豆腐などの柔らかいものに刺して供養をするようになったのだそうです。
最後の最後まで働かせているような気がしますが、人間が柔らかい布団を好むのと同様に、「柔らかいところで休んでください」ということなのでしょうか。
「供養」というと仏教が大きく関係するような気がしますが、実は宗旨や宗教は関係ないのだそうで。
そのため供養のやり方もさまざまで、針を土の中に埋めたり、針を刺した豆腐やこんにゃくごと海に流すという地域もあったようです。
これ、何も知らない人が見たらホラーですね。
現代では家庭での針仕事をする人が減ったため、針供養も縁遠いものになりました。
しかし、服飾業界や服飾関連の専門学校などでは、お世話になった針への感謝を込めて、今も供養を行っているそうです。
「いつの間にか髪が伸びる人形」ヽ(;´Д`)ノ
さて、日本で「ただ捨てずに供養しなければならないもの」ときたら、真っ先に連想されるのは「人形」でしょう。
ぬいぐるみやフィギュアまで含まれるかどうかは個々人の差が大きい気がしますが、ゴミ捨て場に人形が捨てられているところなんてあまり見ないですよね。
日本では昔、人形を「ヒトガタ」と読んでいました。自分の身代わりに罪や穢れを背負ってくれるものとされていたのです。
雛人形の由来の一つに「流し雛」という風習がありますが、あれは「この子の災厄を水に流してね」という願いから始まったものとされています。
そしていつしか、身代わりとして作られたものでなくても、強い念がこもるもの・粗末に扱うとよくないことが起こるとして、人形は丁重に扱われるようになりました。
「いつの間にか髪が伸びる人形」
「動かしていないのに位置が変わる人形」
なんて話は、日本中どこででも聞きますよね。
世界的に見ても、日本は人形にまつわる霊的な話が多いのだそうで。オカルトにもお国柄が出るものなんですねえ。
ただ置いておくだけでもそうしたことが起こる(かもしれない)のに、他のゴミと同じように処分してしまったら……恐ろしすぎます。
そんなわけで、今でも各地の寺院で人形供養を行っているところが多いんですね。
料金や形式は寺院によってさまざまで、いわゆる「合同葬」のように他の人のものとまとめて供養されることもあれば、単独で供養してくれるところ、「一箱に入る分でいくら」というような料金設定をしているところもあります。
お願いするときは、そういった細かい点を確認しておくほうがいいでしょうね。
特に誰かの遺品の人形などは、個別に供養してもらったほうが落ち着くでしょうし。
チキン感謝祭にたまごがけゴハンまで!?
もうちょっと身近なものでは、食べ物に関する供養もあります。
かつて某ムダ知識の泉番組で取り上げられて有名になったのが、ケンタッキーフライドチキンが行っている「チキン感謝祭」です。
これは日々お店でおいしく調理されていく鶏たちへ、感謝をこめて毎年供養を行っているのだそうで。西日本・東日本でそれぞれ別に行っているあたりに、同社の本気を感じます。
鶏つながりというかなんというか、もう一つ食べ物の供養をご紹介して終わりにしましょう。
数年前のこちらのイベントで、卵に対する供養を執り行ったそうです。
詳細はリンク先へどうぞ。
◆供養もする、たまごかけごはんシンポジウム(Daily Potal)
イベント会場でさりげなく始まる読経……笑うべきところではありませんが、想像してみるとシュールです。
供養は人間のエゴといえばそうですけれども、食べるものにせよ使うものにせよ、物は最後まで大切にしたいですね。
長月 七紀・記
【参考】
針供養/wikipedia
川崎市民お寺相談窓口
日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社