鎌倉・室町 江戸時代

「ハラキリ」が日本の歴史に定着したのはナゼ? 現代人にも影響あり?

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ハラキリの歴史
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追腹:恩義ある主君が亡くなった時に殉じること。小姓として寵愛を受けた家臣が殉死することも多かったようです。天和3年(1683年)に禁止へ

御家騒動:御家騒動で敗北したため

規則違反:『忠臣蔵』で有名となった浅野内匠頭長矩のように、殿中で刃傷事件を起こすといった重大な規則違反によるもの

抗議の意:残酷時代劇漫画『シグルイ』は序盤で、徳川忠長の暗君ぶりに抗議して陰腹を切る鳥居成次の姿をグロテスクに描き、読者にショックを与えました。

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なんで抗議するのに切腹をするのか? それも江戸時代の武士でした。「宝暦治水事件」では工事の過酷さに抗議するため、薩摩藩士51名が自害したと伝わります。ただし最近の研究では多すぎるとみなされているとか

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喧嘩両成敗:理由がどうあれ、刃傷沙汰に及ぶような喧嘩を起こしてしまったら、斬り合って生き残った方は切腹が命じられました。また、町人相手に喧嘩をふっかけて不覚を取っても切腹させられることがありました。「辻斬り」のような一方的な町人殺傷は、加害者側も高リスクでした

違法行為:収賄や金銭横領のような行為に対する処罰

仕事のミス:ちょっとしたミスではなく、藩の財政に関わるような改革が失敗したため

汚名をそそぐため新選組原田左之助は「腹の切り方も知らん奴だ」と馬鹿にされたため、その場で切腹をしようとして一命をとりとめたと伝わります。彼の場合は未遂で済みましたが、そうではない人もいたわけです

こうしてみてくると『結構切っているなあ……』という気がしてきますね。

戦国期と比べて動機が軽いというか「そんなことで死ななくても」というものが増えてきています。

 

 

切腹という解決法に潜む日本人独特のメンタリティ

以前、知り合いのドイツ人にこう言われたことがあります。

「日本人って不思議だ。身の潔白を証明するために自殺する人がいるんだって? ドイツ人なら、潔白を証明したいならむしろ生きて無実を証明するよ。死んだらかえって、あぁ後ろ暗いところを追及されたくないんだなと思われる」

そのとき私が何と返事したかは思い出せないのですが、確かに日本人では事件に関わっていた人が自殺してしまうと、そこで幕引きとなるような、追及はやめようとなってしまう空気になりませんか。

切腹の事例を見ていて、この感覚はもしかすると江戸時代からなのか?と感じました。

財政改革に失敗した者に原因を分析させたり、改善策を検討させたり、そういう「セカンドチャンス」を与えないわけです。

喧嘩両成敗にしたって、なぜ喧嘩になるまで両人が争ったかということを分析しない。当事者が切腹してしまえば、原因はわからずともとりあえず皆が納得できる。

かように人々の感情等を落ち着かせる、あるいは鎮静化させる役割はあるけれども、切腹というのは物事を理性的な解決から遠ざけてしまうのではないか、と思ったわけです。

日本人の特性として和を乱さない、空気を読むということがあげられます。

それは美徳です。
よく言えば「思いやり」とも言えるでしょう。

しかしその裏には、切腹によってトラブルのもとになった当事者を消してしまい、それで幕引きをはかる――つまりは真理、真相を追及しないという、あまりよろしくない特質もあったのではないか。

他の文化から見たら、「腹を切る」という行為そのものよりも、唯々諾々と従ってしまう心理状態や同調圧力が不思議なのかもしれません。

「ナゼなの? 組織にそうしろと言われたからって、アナタ、どうして従うの? 自分が正しいと言わないの? ホワイジャパニーズピーポー!」というわけですね。

なかなか奥が深い問題かもしれません。

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文:小檜山青

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