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【伊達吉村】
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西日本で享保の大飢饉が起き、米を売ったら50万両を超えた
しかし、そこで諦めるわけにはいきません。
吉村は次に、役職の整理に乗り出します。無駄な役の廃止や統合をして、余計な出費を抑えようというものです。
並行して、藩内で採れる銅を使って銭を作ったり、農民が貯めていた余分な米を出させて江戸で売ったりと、お金を動かす方法をいくつか試しました。何だか現代のアレコレと似ている気がしますね。
まあその辺はともかく、人員整理とお米売却作戦は当たりました。
西日本で享保の大飢饉が起きたため、仙台藩産の米を売って50万両超の利益を上げたのです。
これによってようやく単年度黒字になり、仙台藩の家計からようやく火が消えたのでした。とはいえ、農民に無理強いをした上でのことですから、あまり評判は良くなかったようですが……。
義父にあたる綱村からは
「吉村は頭が良くて優しいが、理屈に偏りすぎる癖がある」(意訳)
と評価されたことがあるので、日頃からそんな感じだったと思われます。
おそらくや内面の優しさが外に伝わりにくい感じだったんでしょうね。
「仙台藩中興の祖」といわれる割に、他の大名や家臣との逸話が見当たらないのもそのためかと。
自画像を自ら描くほど絵画が好きだった
吉村には和歌や絵画を得意とするという面もありました。
和歌は伊達家代々のたしなみですが、絵が好きな大名は珍しいですよね。
しかも彼の場合、日本ではあまり描かれなかった自画像まで手がけています。現在仙台市博物館に収蔵されている吉村の絵は、彼自身が描いたものなんだとか。
また、伊達家初代・朝宗から自分までの21人の当主の肖像画を作らせているのですが、その下絵も吉村が手がけたといわれています。
「自分が好きなことはできるだけ自分でやる」というのは、藩祖の伊達政宗とよく似ている感がありますね。やはり血筋でしょうか。
そんなこんなでなんとか仙台藩はうまくいくようになった……といいたいところなのですが、米に頼りすぎたことで、天明の大飢饉の影響をモロにくらうことにもなります。
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ホント、国の舵取りは難しい。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
伊達吉村/wikipedia