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【諏訪忠厚と二の丸騒動】
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まるで悪代官の見本
貞亮からすれば、とにかくワケがわからなかったでしょう。
しかも忠厚は、頼保を筆頭家老にするだけでなく、更に150石のボーナスまであげてしまうのですからどうしようもありません。
これで忠厚が善政を敷き、民に感謝され、財政再建にも成功した……ならば良かったのですが、元々能力もないのに嫉妬だけで貞亮を引きずり下ろしたので、政治がうまくいくわけがない。
そもそも本人にも良い政治をしようとする意志はなく、賄賂をくれる者を引き立て、自分は酒池肉林に励むなど、悪代官の見本みたいな生活を送りはじめます。
ここまでテンプレだといっそ清々しいですね。
苛政だったとはいえ、真面目に仕事をしていた貞亮が、これで黙っているわけがありません。
貞亮は閉門を破り、江戸に滞在中の忠厚へ、頼保のウソにまみれた言動を報告しました。
これにはさすがの忠厚も激怒し、頼保をクビにして閉門処分にします。
また閉門って、他に何か思いつかんのか~い。
跡継ぎ問題を利用して、再び讒言で陥れる
再び逆恨みした頼保は、今度は主君の跡継ぎ問題に手を突っ込もうと画策します。
大名のお家事情によくある話で、忠厚は正室との間に男子がなく、側室二人との間に一人ずつ男子がいました。
長男・軍次郎は側室木村氏、次男・鶴蔵は側室北川氏の生まれで、腹違いの兄弟です。
順当に行けば軍次郎が跡継ぎになるべきですが、忠厚は当時北川氏を溺愛していたため、次男の鶴蔵を跡継ぎにしたがっていました。
忠厚はこれにつけこみ、軍次郎を廃嫡して鶴蔵を跡継ぎに確定させ、第一の功臣になろうと考えたのです。
他人を巻き込む才能だけは一級品すぎる……。
一方、貞亮は当時の常識的にも「家督は長男が継ぐべき」と考えており、そもそも主家の家督に家臣が口をだすべきではないと考えていました。
そのため、忠厚を止めようとします。
しかし、ここで頼保派についた助左衛門が、またしても貞亮についてあることないことを忠厚へ吹き込みました。
あろうことか忠厚は再び讒言を鵜呑みにしてしまい、今度は貞亮を罷免・押込(おしこめ)にします。
「押込」は昼夜の出入りを禁じる上に、外部との通信(手紙のやり取りなど)を禁じるという刑です。
閉門よりも重く感じますが、実際にはもっと軽い扱いだったこともあるので、刑罰名だけでは判断が難しいところです。
貞亮、斬罪覚悟で幕府のお偉いさんに相談
いずれにせよ、これだけコロコロ家老が変わっていては、他の家臣たちも領民もさぞ迷惑したことでしょう。
頼保派は軍次郎を呪うわ、刺客を放つわのやりたい放題。
さらに、忠厚の正室が軍次郎を支持していたため、忠厚に正室を離縁するよう進言します。
ちょうど忠厚も子供を産まない正室にイライラしていたので、これもあっさり言われた通りにしてしまいます。
正室にとっては、ダメダメな夫と別れられてよかったかもしれませんが、こんなにも人の言いなりになるような旦那なんて、たぶん現代の女性でもイヤですよね。
貞亮はこの事態を憂いて、斬罪覚悟の上で江戸へ向かいます。
忠厚の妹婿であり、「奏者番」というお偉いさん役をしていた松平乗寛へ訴えたのです。
奏者番自体も大名と幕府との間で礼儀作法を教えたり、日頃から何かと連絡を受け持つことが多かったので、頼りやすかったのでしょう。
乗寛は「これを幕閣に知らせれば、諏訪家は改易になってしまう」と考え、義兄である忠厚を説得。忠厚の隠居と長男・軍次郎の元服及び家督継承を取り付けました。
そして、事の発端である頼保派には切腹や斬首という重い処分を下し、ようやく騒動は集結します。
貞亮は無事に元の家老職へと戻りました。
結果、江戸時代を乗り切り、明治時代には子爵も授かる
その後、新しく藩主となった軍次郎改め諏訪忠粛は、バカ親父と(元)バ家老の尻拭いのため奔走しました。
内政対策の他、藩校を作ったり、藩医に長崎留学を命じたり、藩を良くするべく働いています。
忠粛の子・忠恕も、父の薫陶を受けて内政や養蚕業奨励などを行い、成功を収めました。
しかし、藩内の凶作や江戸藩邸の焼失等により成功がチャラになってしまい、またしても財政が悪化。
諏訪藩で数少ない百姓一揆が起きてしまったために、あまり評価は高くありません。
本人は悪くないので、ちょっとかわいそうですよね(´・ω・`)
忠恕の子・忠誠は、諏訪藩最後の藩主となりました。
彼の外祖父は、あの松平定信です。
若い頃の忠誠を見て、定信は「将来有望な若者」といった印象を抱いたとか。
幕末にはいろいろありましたが、無事諏訪家を存続させ、明治時代には子爵を授かっています。
その後の子孫がマシなだけに、なんで忠厚だけがこんなにもアホなのか理解に苦しみますね。
一行でまとめるとすれば「分不相応な人が野心を抱いたり、極端に高い地位についたりすると、ロクなことがない……」という歴史あるあるなお話ですね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
中江克己『江戸三〇〇年 あの大名たちの顚末』(→amazon)
諏訪忠厚/Wikipedia
諏訪藩/Wikipedia