相馬大作事件

怨恨の当事者である南部信直(左)と津軽為信(右)/wikipediaより引用

江戸時代

相馬大作事件は戦国時代からの怨恨で勃発!津軽と南部が犬猿の理由

文政五年(1842年)8月29日は、相馬大作事件の首謀者である相馬大作が処刑された日です。

正確には未遂事件で、津軽(弘前)藩主が、南部藩の相馬大作という武士に暗殺されそうになり、結果、この相馬大作が斬首刑に処されたのです。

幕末も近いこの時期ですから何かとソッチ方面のいざこざも考えてしまうかもしれません。

原因はさにあらず。

実はこの事件の発端は、約270年も遡る戦国期に原因がありました。

 


戦国時代から続く不倶戴天の敵

弘前藩主の津軽家。

盛岡藩主の南部家。

この両者は、戦国時代から確執のある仲でした。

そもそも、津軽家の初代・津軽為信は、南部家の一族・大浦氏へ養子に来た説や、南部氏の内紛に乗じて大浦南部氏を継いだ説がありまして。

いずれにせよ、その為信が、同じ南部家の城を次々に落として領地をぶんどって独立したので、戦国時代のこととはいえ大きなシコリが残ったのです。

また津軽家は、豊臣秀吉小田原征伐をした際、南部家よりも先に小田原へ着いており、ちゃっかり秀吉にも気に入られて正式に大名となっています。

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南部家は古くから東北最北端エリアの支配者であり、彼らからしてみれば津軽に領土を分捕られたようなものです。

戦国勢力マップなどの書籍をご覧になられると、1571年の石川城攻防戦を機に、新たに津軽為信(このときは大浦氏)の勢力圏が塗られているのがわかるでしょう。

そんなこんな諸々の因縁があり、戦国の世が終わって江戸時代になっても、両家の間には穏やかならぬ空気が漂い続けておりました。

かつて南部家は、陸奥と陸中にあたるエリアの大部分を支配しておりましたが、津軽家が陸奥の西側約半分を奪取。青森県では今なお東西の仲がよろしくないと言います

 


江戸中期にもトラブっていた両藩

「執念深いなあ」

そう思われるでしょうか?

しかし、目の前に土地を奪い合ったケンカ相手がいたら、いつまでたっても不愉快なのが人の自然な感情ではないでしょうか。

現代の一般人でさえ、親戚や近所で揉め事が起きると「アイツのことは一生許さない!!」と思うことがありますから、手元に武力がある武士の世界となれば、キナ臭くなってもおかしくはありません。

津軽家と南部家の場合、江戸時代の半ばにも一度トラブルが起きています。

領地の境界線にある山が「どちらに帰属するのか?」という問題でした。

津軽家では、記録文書などをきっちり幕府に提出する一方、南部家ではそうした書類仕事が得意な人がいなかったのか、うまく対応できず。

そうこうしているうちに幕府が「じゃあ津軽んちのモンでいいよ」と決めてしまったため、やっぱりスッキリしない結果に終わりました。

ちょいと南部家に同情したくなりますかね……。

 


首謀者の相馬大作は盛岡藩士の次男に生まれたが……

そんな感じで両家の間に不穏な空気が漂うこと約250年間。

ついに爆発したのが今回のテーマ「相馬大作事件」でした。

事件自体は、首謀者の名前を取って呼ばれています。本名ではないのですが、混乱しそうなので最初からこの名前で統一しますね。

※本名は「下斗米秀之進(しもどまいひでのしん)」という聞き慣れない姓名です

相馬大作は、盛岡藩(南部家)に仕える藩士の次男として生まれました。

生来あまのじゃくというか気性が荒いというか、あまり勤めに向かない性質の人で、兄が病弱だったため家督を継がされそうになり、反発して江戸に来たといわれています。

後で帰ってきているので、どちらかというと

「年長者が家を継ぐべきだから、次男の俺がしゃしゃり出るのはおかしい」

と思っていたんですかね。

しかし武士としての誇りはあったのか。

とある旗本に弟子入りして武術や兵法を学び、師範代を務めるほどの技術と見識を身につけました。

また、父が病気になったという知らせが届くと、地元に戻り、私塾を開いて腰を落ち着けました。

評判は上々だったようで、実に200人もの弟子がいたそうです。

質実剛健を地でいく方針だったため、冬には寒さと雪に耐え忍ばねばならない東北人の気質に合ったのかもしれません。

弟子を取るようになってきかん気も落ち着いたのか。

幕末に向かう世の中の空気を感じ取ったのか。

ロシアに対する海防などの話もしていたと言いますから、頭も悪くはないのでしょう。

ただし、同時に不穏な影も忍び寄っていきます……。

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