“犬公方”という悪意ある異名を残された徳川綱吉。
実はその生母も、存命当時から出自ゆえに貶められてきました。
徳川家光の側室であり、将軍の母として脚光を浴びるはずのシンデレラガールでありながら、
「犬公方のおふくろなんざ、しょせんは八百屋の娘だろ」
と、さんざん悪く言われてきたのです。
彼女はしばしば“八百屋の娘”として罵詈雑言が浴びせられ、綱吉悪政の責任者として扱われます。
一体この話はどこまで真実なのか?
1705年8月11日(宝永2年6月22日)が命日である、桂昌院の生涯を振り返ってみましょう。
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尾張の姫が おらばなるまい
徳川綱吉の生母である桂昌院。
彼女は、いつ何処で、誰の子として生まれたのか?
その出自にはいくつかの説があり、まず幕府の公式史書である『徳川実紀』では
関白・二条光平の家司である「北小路(本庄)太郎兵衛宗正の娘」
とされています。
表向きは、一定の家柄に仕えていた人物となっているんですね。
しかし、こうした記述は、例えば養女にするなどの後付けでどうにでもなるものです。
それゆえ当時から「もっと卑しい身分であろう」という噂が囁かれ、後に桂昌院が「従一位」という、女性にとって最高の位階を得ると、こんな落首が流れされました。
西陣の 折屋の女 一位職 尾張の姫が おらばなるまい
尾張の姫とは、徳川家光の長女で尾張藩主・徳川光友の御簾中となった千代姫のことです。
もしも千代姫が存命だったら、お玉のような身分の低い女に高い位は巡ってこないだろう――そう皮肉った歌でした。
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大奥はコネがなければ入れない
桂昌院の出自をめぐる噂は、他にもいくつか流されました。
母が高麗人だとか。
御湯殿女中の出身だとか。
大根売りの娘だとか。
あるいは、かつて豊臣秀保(秀吉の甥)に仕え、その後は食い詰めた浪人になっていた樫田太郎兵衛の娘とか。
その中でまことしやかに流されていたのが“八百屋の娘”であり、国史大辞典でも「実父は京都堀川通西藪屋町の八百屋仁左衛門」と記される程ですが、一つ考えたいことがあります。
「大奥へ入る条件」です。
大奥といえば、いかにも世間で噂になるような美女が集うイメージもおありかもしれませんが、最も重視されたのは人脈、要はコネです。
たとえどれだけ美人でも、得体の知れない人物を大奥の中に招き入れるのは危険極まりない行為。
それよりも身元のしっかりした女性を選び、然るべき保証人のいる人物を対象としたほうがいい。
つまり出自が低いと噂されるお玉にしたって、相応のツテがあるのです。
なお、お金持ちの家に女性が嫁ぐことを俗に「玉の輿」と言い、語源はこの「お玉」とする指摘もありますが、確たる根拠はなく俗説のようです。
ともかく次に、徳川家光と桂昌院、そして息子・徳川綱吉の関わりを見て参りましょう。
当たり前のことですが、徳川綱吉の父は家光なんですね。
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