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【諏訪忠厚と二の丸騒動】
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貞亮が実績を作ったことに対し、頼保は「このままでは、藩政を千野家に牛耳られてしまう」とズレた危機感を抱きます。
それなら頼保も何か策を講じて、藩財政がちょっとでも良くなるように働けばいいはずなのですが、そうならないのがお家騒動になった所以です。
貞亮(千野家)は高島城の三の丸、頼保は二の丸に屋敷を構えていたので、それぞれ「三の丸派」「二の丸派」と呼ばれました。
「二の丸騒動」の名はここから来ていますが、ややこしくなりそうなのでこの記事では貞亮(派)・頼保(派)と呼ぶことにしますね。
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忠厚、何の調べもせず讒言をあっさり信じ……
千野貞亮の頑張りに対し、お門違いな嫉妬の炎を燃やす頼保。
ライバルを失脚させようと一計を案じます。
この時点で頭の使い所がおかしいんですが、なぜ誰も止めてくれなかったんですかね。逆恨みするような人ですから、元から人望がなかったんでしょうか。
頼保は、諏訪藩の江戸屋敷で仕えている渡辺助左衛門という人物に近づきます。
助左衛門は忠厚のお気に入りだったので、搦め手から行こうとしたわけです。
助左衛門を通じて頼保は、デタラメを吹き込みました。
「貞亮のかけた重税のおかげで、民は一揆を起こしかねないほど貞亮を恨んでいる」
確かに重税をかければ領民が苦しくなるのは当たり前ですし、恨みを買ってもいたのでしょう。
しかし、この件でマズイのは、忠厚がろくに調べもせず、頼保の讒言をあっさり信じて貞亮を罷免・閉門にしてしまったことです。
「閉門」とは謹慎と似た感じの刑罰で、”昼夜ともに外出を許さない”というものでした。
まるで悪代官の見本
貞亮からすれば、とにかくワケがわからなかったでしょう。
しかも忠厚は、頼保を筆頭家老にするだけでなく、更に150石のボーナスまであげてしまうのですからどうしようもありません。
これで忠厚が善政を敷き、民に感謝され、財政再建にも成功した……ならば良かったのですが、元々能力もないのに嫉妬だけで貞亮を引きずり下ろしたので、政治がうまくいくわけがない。
そもそも本人にも良い政治をしようとする意志はなく、賄賂をくれる者を引き立て、自分は酒池肉林に励むなど、悪代官の見本みたいな生活を送りはじめます。
ここまでテンプレだといっそ清々しいですね。
苛政だったとはいえ、真面目に仕事をしていた貞亮が、これで黙っているわけがありません。
貞亮は閉門を破り、江戸に滞在中の忠厚へ、頼保のウソにまみれた言動を報告しました。
これにはさすがの忠厚も激怒し、頼保をクビにして閉門処分にします。
また閉門って、他に何か思いつかんのか~い。
跡継ぎ問題を利用して、再び讒言で陥れる
再び逆恨みした頼保は、今度は主君の跡継ぎ問題に手を突っ込もうと画策します。
大名のお家事情によくある話で、忠厚は正室との間に男子がなく、側室二人との間に一人ずつ男子がいました。
長男・軍次郎は側室木村氏、次男・鶴蔵は側室北川氏の生まれで、腹違いの兄弟です。
順当に行けば軍次郎が跡継ぎになるべきですが、忠厚は当時北川氏を溺愛していたため、次男の鶴蔵を跡継ぎにしたがっていました。
忠厚はこれにつけこみ、軍次郎を廃嫡して鶴蔵を跡継ぎに確定させ、第一の功臣になろうと考えたのです。
他人を巻き込む才能だけは一級品すぎる……。
一方、貞亮は当時の常識的にも「家督は長男が継ぐべき」と考えており、そもそも主家の家督に家臣が口をだすべきではないと考えていました。
そのため、忠厚を止めようとします。
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