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【遊郭のリアル】
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上弦の陸が問いかけるもの
『鬼滅の刃』における鬼は、生前抱いていた欲望を求めて世間に巣食います。
吉原の最下層である羅生門河岸で生まれた妓夫太郎と堕姫にとって、きらびやかな吉原の中心に入り込むことは、まさしく夢の実現でした。
狭い部屋で客を取るのではなく、自室を持ち、豪華な衣服で着飾り、命まで取り立てる。
彼らにとって夢見た生活です。
彼らはその世界しか知りません。遊郭という隷属的な世界での頂点をめざし、そこに巣喰い続けた。
邪悪なだけではなく、どうしようもない寂しさも感じさせます。
もっと広い世界も、可能性も、愛情も、彼らは一切知りません。
二人とも相手の容姿を値踏みし、酷い侮蔑の言葉をかける。美しいものしか価値がない。そうでなければ虫ケラだと嘲笑います。
容姿に値段をつけ、食い物にする世界しか知らないのですから、それはもう仕方ありません。
しかし彼らの前に立ち塞がる鬼殺隊の面々は、天元以下、別の価値観を突きつけました。
天元は女房を救うために、吉原まで乗り込んできた。女房を守り、堅気の犠牲も抑えようとする。
そうするとき彼は容姿云々問わない。命を守ることが大事だと考えている。
変な頭をした善逸も、猪頭を被った伊之助も、そんな価値観のもとで立ち向かってくる。
炭治郎と禰豆子は、兄と妹として立ち向かってくる。自分たちにはあったのか、無いものなのか、わからない愛で結びついている。
その戦いが終わって敗北し、罵倒し合う妓夫太郎と堕姫。
彼らの言葉が嘘であると炭治郎は見抜きます。
この兄と妹は、邪悪である以前に、あまりに無知であったことが明かされます。
美しいか、醜いか?
強いか、弱いか?
取り立てるか、取り立てられるか?
そんな価値観しかない吉原で育った二人は、その環境にどっぷりと浸かってしまいました。
妓夫太郎は妹のことをよく知っています。
彼女は生まれついて邪悪なのではなく、ただただ、素直で染まりやすかった。
無惨はそんな彼女を「幼稚で愚かだ」とすら感じていたようですが、実際にそうなのでしょう。しのぶやカナヲが持っているような、自分で考える頑固な知性と自我とは無縁の女性でした。
もしも彼女が泥の中ではなく、清らかな水の中で生まれていたら? 身も心も美しい女性として生きられたはず。
それが妓夫太郎の悔恨となって生々しく語られるのです。
けれども、妓夫太郎も同じことでしょう。
遊郭の片隅に生まれ、母から殺されそうになり、胎内で病も感染してしまっていた少年。彼だってもっと別の空の下に生まれていたら、賢く素直な少年として生きられたかもしれません。
取り立てるだけではなく、取り立てられるだけでもなく、何かを与える側に回れたかもしれないのに、生まれた場所が悪かった。
そんな悲哀を体現する兄妹です。
遊郭は苦しみに満ちた場所でもあった
かつて遊郭は、キラキラしたテーマパークのようなものでした。
豪華なインテリア、衣装、仕掛け。
と、そこにいけばワクワクでき、『鬼滅の刃』でも描かれる花魁道中は、まさしく日常にあるエンタメと言えました。
落語、浮世絵、物語……といった作品で描かれる遊女の世界はドラマチックでもあります。
しかしそれはあくまで遊ぶ側、買う側の目線でしょう。
エンタメとして消費したい側は、苦しみのある舞台裏には目を瞑るもの。遊郭をおもしろおかしく描いた作品は、そういう類と言えます。
反社会的勢力とも縁があります。そういうアウトローへの憧れもつきまといます。現代人にとってのヤンキー漫画ワールドみたいなものですね。
そこまでふまえますと『鬼滅の刃』は遊郭を学ぶ機会としては極めて秀逸ともいえます。
13歳の少女が、生きたまま焼き殺されることはどうなのか?
生まれる前も、生まれたあとも、親から殺されかけ、暴力しか学べない。そんな遊郭とは何か?
そこで生まれ育ったものにとって、遊郭は必要悪やセーフティネットどころか、地獄、悪夢でしかありません。
それを大人が理解しておいた上で、
「遊女になることは、昔は“苦海”(苦しみが果てない場所)に身を沈めると言われたんだよ」
と子供に説明すれば、具体例を教えずとも、理解の始まりとなるのではないでしょうか。
遊女、遊郭に生きるものたちは被差別階級とみなされることもあります。
妓夫太郎のように遊郭で生きるものたちは「忘八者」とも呼ばれました。
人として生きるうえでの【仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 (てい)】の徳を忘れてしまったという語源説があります。
人として生きるための最低限の倫理すらない――それほどまでに落ちぶれているという意識があったのです。
真っ当に生きることを許されず、奪われ続けてきた上弦の陸。
この世から消滅する直前、炭治郎の言葉によって愛を取り戻す。
歴史の陰に消えていった遊郭の人々に輝きを与え、余韻を残して消えてゆく。
『鬼滅の刃 遊郭編』には、そんな儚い煌めきがあります。
アニメで見届け、歴史の中に存在していた彼らのことも思い起こしたいものです。
成人済みであれば『BLACK LAGOON』のヘンゼルとグレーテル編をお勧めします。
「チャウシェスクの落とし子」である彼らは、時代と国がちがえば幸せになれた、そんな悲しい兄と妹です。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
沢山美果子『性からよむ江戸時代』(→amazon)
安藤 優一郎『江戸を賑わした色街文化と遊女の歴史』(→amazon)
歴史読本編集部 『歴史の中の遊女・被差別民』(→amazon)
他