日本は、言うまでもなく地震大国である。
三陸沖を震源とする東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)や、100~150年周期で西日本を中心に列島全体へ襲いかかる南海トラフ巨大地震など。
マグニチュード7~9(M7.0~9.0)クラスの大地震が一定周期で頻発しており、特に2011年の津波は未だ我々のトラウマとなっているが、大地震はなにも海だけで起きるワケじゃない。
歴史的に見れば内陸部も十分に危険。
例えばM8.0にも達した【濃尾地震(1891年)】は、世界最大級の内陸直下型地震とされていて、西は九州全土、東は東北地方まで揺れたことで知られる。
今回、注目したいのは、その濃尾地方(岐阜・愛知)のお隣、信州(長野県)で起きた巨大地震――。
弘化4年(1847年)3月24日に起きた善光寺地震(弘化4年=1847年)である。
被害の中心となった善光寺は、当時、全国有数の観光地となっており、地震が勃発したその夜、7,000~8,000人規模の観光客が一晩で亡くなってしまったという。
まるで恐怖映画のような震災は、いかなるものだったのか。
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7年に一度公開される秘仏「前立本尊様」を見るために
善光寺とは長野県長野市にある無宗派の寺院である。
644年創建という歴史があり、日本で仏教の宗派が別れる前から存在していたため、宗派の区別なく運営されており、現在は天台宗や浄土宗が入っている。
そして善光寺には、7年に一度ご開帳される秘仏「前立本尊様」があり、江戸時代には伊勢神宮と並んで庶民憧れの観光スポットであった。
一説には、この秘仏公開の期間中に当時で約20万人もの人が訪れたというのだから、いかに人気のスポットであったかご理解できるだろう。
そして、そんな祭りで沸き立つ真っ最中に悲劇は起きたのだった。
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土地勘のない観光客は軒並み大火に呑まれて
弘化4年(1847年)3月24日――。
その日、善光寺には7,000~8,000人の観光客が現れ、門前町の宿場や土産屋、飲食店は大いに湧いていた。
江戸を旅立って東海道を歩き、伊勢神宮を参拝してから信州・善光寺を巡って中山道で江戸へ戻る――。
当時の旅は、それが黄金のルートだったらしく、旅人たちの気分は最高潮であっただろう。
そして夜10時。
M7.4の大地震が突如、信州を襲った。
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