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【善光寺地震】
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宿泊者1,400人は数十人を残して皆死んだ
善光寺の門前町や店舗の多くは揺れで倒され、さらには大火事も発生した。
土地勘がない観光客にとっては逃げ場のない火事の迷路であり、多くが大火に巻き込まれて亡くなられたという。
当時、その様子を記していた、とある農民の日記によると、余震は翌日まで昼夜くまなく続き、まるで船に乗っている心地。
行き交う人々の表情はみな生気を失っていたという。
近所の宿泊者1,400人は数十人を残して皆死んだ、とも記されており、実際このときの大地震で観光客8,000人は実に9割が亡くなられたとも伝えられている。
寺の境内は死体で埋まり、野犬などが跋扈する、まさに地獄絵図であった。
真田の子孫たちが大活躍
被害は、善光寺周辺の観光スポットにとどまらなかった。
約6万ヶ所で山崩れや地すべりが起き、特に犀川付近で起きた山崩れが原因となって発生した津波のような濁流は、隣の新潟県(越後国)まで流れだしたという。
かように悲惨な大地震ではあったが、何も絶望的な話ばかりではない。
地震後、被災地の立ち直りに奔走した松代藩が素晴らしい対応を見せている。
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当時の藩主・真田幸貫は自ら足を運んで被災地を見て周り、幕府から借りた1万両(無利息)で、田畑を失った農民たちを治水事業に起用。
さらには善光寺の修復へも進めたという。
蛇足であるが、当時の秘仏開帳というのは江戸庶民にとっての大きな娯楽で、確実にカネが集まるため次々に投資され、善光寺の立て直しは想像よりも早く進んだようだ。
松代藩は当時の被災状況を記してこれを公開した。
当時の絵図は内閣府のホームページ(→link)からも見ることができる。
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文:五十嵐利休
【参考】
『理科年表』(→amazon)
内閣府(→link)