こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【隅田川の歴史】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
飢饉等で亡くなった人の鎮魂のため花火が打ち上げられた
東京で一番の花火大会といえば隅田川。
人混みがすごいのでテレビ中継で見ているという方も多いと思いますが、それでも大迫力ですよね。
この花火大会は、享保十七年(1732年)にコレラや大飢饉で亡くなった人々を弔うため、徳川吉宗時代の幕府により水神祭が行われたのが始まりです。
その翌年の享保18年(1733年)に20発ほどを打ち上げる小規模なものでした。
それから80年ほどして花火屋の鍵屋が、分家にあたる玉屋と腕を競い合うようになり、見物客もそれぞれ出来が良いと感じるほうの名を「たーまやー」やら「かーぎやー」と呼ぶようになったのだとか。
玉屋の人気も上々でしたが、火事を起こしてしまったため一代で廃業させられてしまったそうで。それでも現代にまで屋号が言い伝えられているのですから、それはそれでスゴイ話ですよね。
当時は電灯もありませんし、真っ暗な中でド派手に打ち上がる花火はさぞ美しく見えたことでしょう。
昭和年間には交通事情等の問題で中断されたこともありましたが、昭和五十三年(1978年)に復活してからは再び夏の風物詩になっています。
竜馬に海舟、道灌さん ユニークな名前の水上バス
そんなわけで隅田川周辺には歴史スポットも多いためか、水上バスの名前も歴史にちなんだものがいくつかあります。
最初の江戸城を作った「(太田)道灌」、皆さんご存じの「竜馬」「海舟」、はたまた「ヒミコ」などの人名から、演劇付きの宴会が楽しめる「御座船 安宅丸」まで実にバリエーションに富んでいます。
どうでもいいですが「道灌」と「竜馬」は姉妹船だそうで。そこは海舟とのほうがよかったんじゃ……。
某銀河鉄道で有名な漫画家さんのプロデュースした近未来的なデザインの船(それがヒミコ)もあり、細かいことはあまり気にしていないのかもしれません。
交通網の発展により、隅田川をはじめとした河川は交通・輸送の役目を果たす機会は少なくなりましたけれども、これからも様々な面で親しまれていくのでしょう。
あわせて読みたい関連記事
徳川吉宗は家康に次ぐ実力者だったのか?その手腕を享保の改革と共に振り返ろう
続きを見る
隅田川花火大会の歴史はいつからかご存知?それは1732年享保の大飢饉から始まった
続きを見る
明暦の大火(振袖火事)は日本史上最大 3~10万人が亡くなり城も焼失
続きを見る
一瞬で1400人が亡くなった永代橋崩落事故~江戸時代最大の落橋事故はなぜ起きた
続きを見る
三度の大火事が江戸を襲った元禄の大火~すべて綱吉時代に起きていた
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
東京都地質調査業協会(→link)
TOKYO CRUISE(→link)
隅田川/wikipedia