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【水野成之】
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2歳の息子も処刑され家名は一時断絶 30年後に弟が……
水野成之はそれも屁の河童でした。
反省するどころか、だらしない服装「被髪白衣」(月代を剃らず袴も履かない異様な風体)で現れたため、お偉いさんの怒りを買い、即日、切腹となってしまうのです。
しかも切腹の作法さえ守らず、最後の最後まで公儀に逆らったそうで。
享年35でしたが、その歳になってまでこのヤンチャぶりというのは……さすがに、アイタタタ。
可哀想に、成之の嫡子・百助もたった2歳で処刑されています。
弟の忠丘も連座して一度お預けの身になっていますが、30年近く経ってから許され、旗本として復帰しました。
そのとき忠丘は既に60歳近くになっていますので、文字通り人生の半分を兄のせいでめちゃくちゃにされたことになります。
忠丘カワイソス(`;ω;´)
早い段階で更生できていれば……
ちなみに、同じ旗本奴でも、早いうちに更生して(?)比較的まともな一生を送った人もいます。
三代将軍・徳川家光の小姓だった、加賀爪直澄(かがつめ なおずみ)という人です。
彼は水野成之の仲間だったのですが、小姓を務めた後、将軍の親衛隊である「書院番」のトップや、旗本たちのリーダーである「大番頭」などを歴任。
最終的に父の領地を継いだ分と自分で稼いだ分を合わせて、1万石超の立派な大名になっています。
直澄の例を見ると、ことさら忠丘が哀れです。
よく「親と上司は選べない」といわれますが、きょうだい関係もまたどうにもならないものですよね……。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『御家断絶―改易大名の末路 (別冊歴史読本15)』(→amazon)
水野成之/Wikipedia
旗本奴/Wikipedia