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【大田南畝】
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田沼バブルが弾け 松平定信時代へ
松平定信は融通の利かない堅物だった?白河藩では手腕抜群でも寛政の改革で大失敗
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それまでの路線をガラッと方向転換。
【寛政の改革】を推し進め、南畝のスポンサーである土山宗次郎は斬首されました。
さらには【処士横断の禁】という、南畝のように武士でありながら文人活動する者を狙い撃ちにする政策が出されます。
風紀も取り締まられ、蔦屋重三郎や山東京伝ら文人も取り締まりの対象となりました。
南畝にとっては悪夢のような事態です。
周囲は取り締まりを受ける。
自分が該当する禁令が発せられる。
幕府批判の狂歌作者ではないかと噂される。
贅沢が取締られているが、南畝も羽振りがよかった。
スポンサーとされた土山の死。
土山の罪状の中には「遊女と妾としたこと」も含まれていました。
御家人である南畝も、同じことをしているのです。
さらに当時は相次ぐ天災、飢饉、米価急騰、米騒動といった事態が江戸のみならず、全国各地で起こっています。
寛政元年(1789年)には、黄表紙『鸚鵡返文武二道』を出版した恋川春町が急死を遂げました。
春町は作品が幕府批判とみなされ、呼び出しを受けていた。
しかし幕府の追及に応じず、急死したのです。
彼も武士であり文人であるという、南畝と似た境遇の人物であり、幕府を恐れたための自殺とも囁かれました。
こうした世情の中、南畝は狂歌作りをやめ、文人としてはささやかな活動に終始します。
真面目に本業の御家人としての勤めを果たしていたのです。
不惑を過ぎて「学問吟味」にトップ合格
寛政4年(1792年)、大田南畝は新設された儒生試験「学問吟味」を受験しました。
44歳で、文人として名を馳せてなお、挑戦を忘れなかったのです。
しかし結果は不合格。噂では試験官が彼の文人としての名声に嫉妬し、落としたともされます。
寛政6年(1794年)、南畝は再び試験に挑戦し、今度は合格します。
そして湯島聖堂で行われる第五次まである最終試験に挑み、小姓組番士・遠山景晋とともに甲科及第首席合格を果たしたのでした。
田沼時代のバブルに乗った南畝。
彼は松平時代の弾圧をかいくぐり、日本版科挙ともいえる試験にトップ合格を果たしたのです。
結果、彼は武士の出世ルートに乗ります。
狂歌がいくら詠めても出世できないとされていた南畝が、寛政8年(1796年)には、支配勘定に任用。
さらに享和元年(1801年)には、大坂銅座に赴任しました。
中国では銅山を「蜀山」といったのにちなんで「蜀山人」の号を用い、狂歌を再開させると、大坂滞在中も、物産学者の木村蒹葭堂、国学者・上田秋成らと交流を深めます。
文化年間ともなると【寛政の改革】も終わり、充実した日々となります。
武士としても加増され、文人としても名を馳せる日々が到来しました。
俺が死ぬとは こいつはたまらん
文化4年(1807年)、隅田川に架かる永代橋崩落事故を題材にした『夢の憂橋』を出版。
その5年後となる文化9年(1812年)には息子の定吉が失職してしまい、南畝は隠居できず、働き続けることとなりました。
当時としてはかなり長生きだった南畝は、文政6年(1823年)まで生き永らえ、登城の道で転び亡くなりました。
享年75。
辞世の歌が残されています。
今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん
狂歌で名をなした彼らしい最期でしょう。
江戸の文人は、わびしい晩年を迎えることが多いとされます。
武士と文人を兼任すると、両方成功することは難しいともされます。
そうしたルールからはみだし、文人としても名を成し、武士としても成功をおさめた大田南畝。
では、果たして彼は幸せだったか?
晩年まで働き詰め、それが死因となったことは、本人からすれば嫌なことであったかもしれません。
青年時代に夢見た、清貧なれど悠々自適な市隠(しいん・都市部に暮らす隠者)とも異なる人生ではあります。
そうはいえども人物としては魅力的であり、後世には様々な伝説も語り残されていました。
現代では影が薄くなった大田南畝。
『べらぼう』でまた注目されることを願いましょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
小池正胤『反骨者大田南畝と山東京伝』(→amazon)
他