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【参勤交代(大名行列)】
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米から銭へ 経済の主役も変化する
時代が下ると、さらに別の問題も噴出し始めました。
江戸時代になると、貨幣や物流の拡大によって、社会体制がどんどん金融経済へとシフト。
大名の力を弱めるには成功したものの、参勤交代によって財政難も加速したのです。
彼らの収入源である米は冷害に弱く、地球的に寒冷な気候だった江戸時代には不作や飢饉も頻発していました。
どこの藩も財政は右肩下がりで、それは幕府も例外ではありませんでした。
そこで八代将軍・徳川吉宗が考えたのが、享保七年(1722年)の【上米の制】です。
「大名から領地一万石につき百石を幕府に上納させる代わりに、江戸滞在期間を半年に減らし、国元にいられる期間を一年半にする」
各地の大名にしてみれば、地元に目が行き届きやすくなる上、旅費や江戸での滞在費が大幅に削減できる。
幕府にとっては、旗本や御家人などへ払う給料(米)の財源となりました。
逆に言えば、吉宗の時代には、既に幕府本体の収入だけでは直臣を養えないような状況になっていたということですね。
米は、春・秋の二度、半分ずつ、大坂か江戸にある幕府の蔵に納められました。
もしも、米での納入が厳しい場合は、相当する金額を納めれば良いことになっています。
割と融通がきくんですね。っていうか、結局、米じゃなくてお金という……。
こうして幕府が得た「上米」は年間19万石弱というすさまじい量になりました。
どのくらいかというと、久保田藩(秋田藩)の表高が約20万石です。
比較的大きな藩ひとつ分くらいの米を、全国から集めることができました。
【上米の制】に伴う参勤交代に関する変更をマトメておきましょう。
・1年交代だった大名は在府半年 / 在国1年半
・半年交代の大名は在府半年 / 在国1年
・外様は4月、譜代は6月の交代時期を、外譜の区別なく3月 / 9月に変更
また、上記のように1年交代でない大名や、定府の大名、藩主幼少のため帰国しない大名、幕閣もいくらかの米を納めています。
大なり小なり、全ての大名が米を負担したことで、連帯感や公平感が出たのかもしれません。
しかし、これを長く続けると、参勤交代のそもそもの狙いだった「大名の蓄財・反乱防止」が成り立たなくなってしまいます。
そのため、上米の制は7~8年で廃止され、元通り参勤交代が義務付けられました。
この間に、幕府の財政がだいぶ改善したから、という理由もあったようです。
江戸・大坂・京「三都」の文化が地方へ
更に時代が下って、幕末へ。
この頃になると、威光で大名を縛り付けることはほぼ不可能になりました。
勢い、大名にとって最大の負担だった参勤交代をどうするか? という点も問題となります。
そこで文久二年(1862年)、一橋慶喜と松平慶永らによって幕政改革が実施されました。
「大大名は3年に1年の江戸滞在、その他は3年に100日」
在国期間をかなり多めにし、その分、海防に励むよう――というお触れが出されるのです。
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結果、幕府の威光は下がり、慶応元年(1865年)、元通りの参勤交代へ戻そうとしても、叶うことはありませんでした。って、そりゃそうだ。
それだけ参勤交代による負担や不満が大きいものだったのです。
江戸期を通じて、大名の負担が増大したことは、必ずしも悪いことばかりではありません。
終着地点である江戸はもちろん、特に西国大名が通過する大坂・京都、そして道中の宿場町の経済が発展を遂げたのです。
単純にいえば「大名行列が道中でお金を落っことしてくれるので、該当地域の庶民が恩恵を受けた」というわけです。
大名の地元では、藩主が江戸にいる年(江戸詰)は寂れ、そのぶん在国の年は賑わったといいます。
江戸時代のお殿様や領主というと、ひたすら領民をいじめていたかのような創作物が多いですが、お得意様なのでそうとも限りません。
また、江戸・大坂・京都のいわゆる「三都」と各地方を大名とその一行が行き来することにより、それまで政治の中心地でしか発展しなかったような文化が、地方にも伝わりやすくなりました。
戦国時代まで、特に宣教師たちの記録からすると、地方の日本人も古くから一定以上のモラルや教養(短歌を詠めるなど)がわかりますけれども、それがさらにパワーアップしたのが江戸時代であり、そのきっかけのひとつが参勤交代だったということです。
極端にいえば、大名のお財布事情と引き換えに、国全体の文化レベルが上がった……ともとれます。
何がどこでどう影響してくるか。
思ってもいなかったことが起きるのも、また歴史を追いかける楽しみの一つでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
安藤優一郎『参勤交代の真相』(→amazon)
国史大辞典「参勤交代」「上米の制」「国詰」「大名行列」