江戸時代の老中と言えば、政治の中心。
酒井や阿部、松平など、そこにはお馴染みの名前が並びますが、土井利位という方はご存知でしょうか?
「誰?」という声が聞こえてくると同時に「名前の読み方がわからん!」と言われそうですね。
「としつら」と読み、あの土井利勝の分家筋にあたる人物です。
※以下は土井利勝の解説記事となります
土井利勝は家康の隠し子?参勤交代や寛永通宝など江戸時代の基礎を作った功績
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この土井利位さん、政治ではなく別の一面で綺羅びやかな功績を残された方で、嘉永元年(1848年)7月2日が命日。
さっそく見て参りましょう。
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当時最先端のメカ・顕微鏡!
「江戸時代あるある」のお決まり通り、利位は、本家の血筋が絶えたため分家から養子に来て、本家の家督を継いでおりました。
場所は古河藩(現・茨城県古河市)です。
25歳のときでしたので、当時の感覚では新たな環境に馴染むのも難しいと思われたかもしれません。
しかし、この頃の利位はとある作業に大ハマリして、その楽しみをバネにしていた節があります。
女性でもお酒でもグルメでもありません。
顕微鏡という当時最先端のメカ(死語)です。
伝来したのが1765年頃で、利位は1789年(寛政元年)生まれですから、かなり早い時期に入手したのでしょう。
利位はこれでいろいろなものを見るのに熱中していたのですが……。
あるとき、雪の結晶を観察してみたところ、その美しさにビックリ仰天!
以来20年にわたってさまざまな結晶を見つけ出し、『雪華図説』という本にまとめて出版しました。
それが以下の画像です。
雪の美称のひとつに「雪華」というものがあり、その名付け親は利位だったといわれています。ロマンチックな王様ならぬお殿様ですね。
ついでに言うと雪華図説には続編もあります。
どんだけ好きだったんだ!
「何だいこの形は! かっこいいじゃねえか!」
このおかげで江戸っ子たちには新たなブームが起きました。
「何だいこの形は! かっこいいじゃねえか!」
ということで、着物の柄に取り入れる人々が現れたのです。
現代でも雪の結晶の柄が「伝統的な模様」として扱われているのは、そのせいなんですね。
モダンなようで和の伝統色にもよく合うのは、江戸時代生まれだからでした。
もちろん、利位は遊んでばかりではありません。
彼は元々政治的センスがあったようで、藩政を無事こなし、幕閣デビューを果たします。
奏者番から寺社奉行といったお決まりのコースを経て、老中に名を連ね、同時期にヘマをやらかしていた水野忠邦を皆で協力して追い出し、その功績でもって新たな老中首座(老中の代表みたいなもの)に任命されました。
忠邦のやった改革のうち、倹約令などそこそこ効果の見込めるものについては残しました。
その代わり、長年の平和でボケ始めていた武士たちに活を入れたりもしています。
また、米の先物取引によって一時的に黒字を生み出すなど、アメとムチを巧みに使いこなしておりました。
そのまま順調に行けば、もう少し江戸幕府が続いたのかもしれません。
しかし、時と外交事情は着実に明治維新へ向かっていました。
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