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【吉原の女郎たちは普段どんな生活を送っていた?】
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食:自腹を切って残り物を食べる
『べらぼう』に出てくる「消えもの」の料理をご覧になられたでしょうか。
本作の料理は、大河史上に残るほど豪華で見た目が美しい。
実際、国や文化を彩る料理は、近世で頂点へ向かってゆきます。
世界中のほとんどの国では、宮廷の王侯貴族が舌鼓を打つ料理が最高級であり、確かに『光る君へ』の頃は日本でもそうでした。
藤原北家の代表である兼家の食卓と、下級貴族に過ぎない藤原為時の食卓は、色彩まで異なっていたものです。
しかし、武士政権の樹立後に京都の貴族は没落、食事は極めて質素なものへ。
では、武士はどうか?
というと、江戸時代の前半までは豪華な食事を摂っていてもおかしくはありません。
しかし財政が悪化していくため、八代将軍・徳川吉宗の頃になると質素倹約が奨励され、自らの食事をも粗末なものとしてゆくようになります。
そう、「武士は食わねど高楊枝」時代の到来ですね。
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徳川吉宗/wikipediaより引用
劇中で田沼意次は、江戸随一の仕出し屋である「百川」の高級仕出し弁当を大量に所有していました。
あれは賄賂なのでしょう。
だから意次は他の武士から「けしからん奴だ」と白眼視される。
幕府財政が健全だったころ武士は吉原の上客であり、白馬にまたがり遊郭へ向かう姿が見られたものです。
江戸時代前期に起きた有名な御家騒動であり、フィクションの題材にもなった【伊達騒動】――そのクライマックスは伊達綱宗が吉原の高尾太夫を吊るして斬る、残虐な場面です。
この話は誇張もあるとされますが、大名ですら吉原に出入りできたからこその逸話でしょう。
しかし『べらぼう』の時代、武士は既に貧しい存在です。
尾身としのりさん扮する平沢常富(朋誠堂喜三二)のように、吉原に出入りできる武士は何らかの事情や副収入があると考えた方がよいでしょう。
そんな時代ともなると、最高級の料理は上様の御膳ではなく、吉原で花魁の前に置かれるものとなります。
こうした食事は「台の物」と呼ばれます。
再現が難しいため、なかなか実物を目にする機会はない。
『べらぼう』はその貴重な機会ですので、仄暗い吉原の宴では目を凝らしておくと良いですよ。吉原で毎晩カネが千両落ちるという中には、この食事代も入っていて、これも女郎負担です。
豪華な食事ですから、花魁も喜んで箸をつけるのかと思いきや、事はそう単純でもありません。
長谷川平蔵を初めて出迎えた花の井は、退屈そうにしていて、終始無言でついにはあくびまでしてしまいました。
禿に伝言し、帰ることを告げていたものです。
あれは「初会」というしきたりです。
相手が誰であろうと、初めては口もろくに聞かず、女郎は壁にへばりついたようにそっけなく振る舞う。
豪華な食事がどれだけあろうと、箸をつけることはできません。せいぜいが無言で酒を酌み交わす程度になります。
同じ女郎と二度目に会うことを「裏を返す」と言い、三度目でようやく「馴染み」になれる。ここまで通うと、客は専用の箸を作ってもらいます。もちろん、箸の費用は女郎負担ですね。
では、二度目、三度目ともなれば、女郎も自由に食事ができるかと言いますと、そうでもありません。
『光る君へ』を思い出してみましょう。
あの作品では、女君が男君の前で食事をとる場面は出てきませんでした。せいぜい、まひろが家族や宋人の前で食べる程度。
恋愛対象となる男性相手に、食欲や食事をとる姿を見せないことが女性の嗜みであり、この習慣は時代が降るつれ廃ってゆきます。ただし、吉原の女郎でだけ残りました。
客から「食べなよ」と勧めてこなければ、自腹を切った豪華な台の物を目にしても、箸をつけることはできない。
客が帰った後に、残り物を分け合って食べることが精一杯でした。
忘八たちは、商売道具の女郎に食事はとらせます。
これは経営者の倫理によります。女郎を大事にしたい良心的な忘八は、それなりのものを食べさせます。
忘八でも悪どいものとなると、この食費すら値切る。
『べらぼう』では大文字屋が女郎にカボチャばかり食べさせて節約していたとされますが、実際にあった話だそうで。しかも、そんな粗末な食事であろうとも女郎の経費になるのだから辛い。
廓で提供される食事。客の残したもの。これだけではなく、吉原にやってくる物売りから軽食を買うこともできます。むろん、これも女郎の自費負担。
生卵はスタミナドリンク扱いであり、女郎も客も、気軽に飲んでいたそうです。
ちなみにこの江戸のスタミナドリンクといえる鶏卵を朝から食していたのが、一橋治済であると伝わっています。
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徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用
精力がみなぎっていると噂されていたのでしょう。
吉原は地獄のような搾取システムだった
『べらぼう』の劇中では、女郎たちがかかる金をなんとしても倹約しようと奮闘する姿が描かれます。
前述の通り、花の井は自分の禿が駄目にしてしまった貸本の代金を値切る。
何かあると女郎たちの「入銀」でカネの都合をつけさせようとする忘八に怒り、その計画発案者とみなした蔦重に猛然と食ってかかる。
貸本を値切られた蔦重は花の井に対し、一晩であんなに金を稼ぐのにケチくせぇと反論しました。
しかし、愚痴をこぼす程度で終わらせています。
まだ幼い唐丸は、蔦重と駿河屋次郎兵衛に、疑問を投げかけました。
女郎を買うためにお金がたくさんかかっている。それなのに、どうしてああも金を節約するのか?と。
そこで蔦重と次郎兵衛は説明します。
稼ぎは中抜きで持って行かれる。
残った分は借金返済のために引かれる。
そして必要経費がかかる。
稼げば稼ぐだけ、金が出ていくため、年季明けまで勤めても借金が残るなんてザラ。
そう聞かされた唐丸は「地獄のようだね」と返したものです。
その通り、地獄です。
日常生活だけでもこれだけ出費があるうえに、吉原は年がら年中行事があり、そのたびに経費がかかる。
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『吉原仲の町桜時』歌川広重/wikipediaより引用
この苦界から抜け出すには?
女郎が吉原を出るには、三つの道があるとされます。
・年季明けまで勤め上げる
・惚れた相手から落籍される
・死んで「投込寺」こと浄閑寺に葬られる
この道は、劇中でそれぞれ示されています。
年季明けまで勤め上げ、吉原に残った元女郎として、水野美紀さん扮する松葉屋の女将・いね、かたせ梨乃さん扮する二文字屋の女将・きくがいます。
花の井は瀬川として、落籍されます。
そして病死した朝顔は、浄閑寺に葬られました。
吉原女郎の命は、運が悪ければとても短くして終わります。
梅毒や肺結核に感染しやすい。
感染しても医者の診察を受けにくい。
逃げ出そうとして厳しい折檻を受け、体を壊し、最悪の場合は命を落としてしまう。
本気で惚れた相手がいても、相手の財力では落籍できない。
結果、あの世で結ばれようと死を選ぶ――そんな風に心中死を選んだ男女は犬畜生同然とされ、今後、生まれ変われることができないような扱いを受け、晒されます。
それでもこの末路を選ぶ女郎はいました。
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葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用
籠の中にいることに耐えきれず放火する女郎もいました。
四方を塞がれ、消火活動もろくにできない吉原は炎の海となり、大惨事となる。
それでも吉原は何度も火が放たれたのです。
まさに苦界――そこは苦しみに満ちた世界でした。
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『べらぼう』吉原でしばしば起きていた放火~もしも捕まれば酷い火刑が待っていた
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吉原の女郎たちは、親の借金のために売られた女児や、女衒によって誘拐された地方の女児により構成されていたとされます。
本人の意思と関係なく従事させられ借金で縛られ、「売り物」とされてからも生きるために必要な日常の経費を取られてゆく。
あまりに酷い搾取がそこにはあるのです。
なぜ、こうも酷い仕組みがあるのか?
『べらぼう』ではその点も説明されます。
政治を担う田沼意次は、金を動かすためには吉原にせよ、岡場所にせよ、必要悪だと割り切っています。
おぞましくとも、江戸の文化や経済と分かち難く結びついていたのですね。
『べらぼう』では格子に咲く花ではなく、浮世を生きる人としての女郎。
そして彼女たちを縛り付ける政治の構図が描かれることを期待しましょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
小野武雄『吉原と島原』(→amazon)
渡辺憲司『江戸三〇〇年 吉原のしきたり』(→amazon)
安藤優一郎『江戸を賑わした色街文化と遊女の歴史』(→amazon)
国立歴史民俗博物館『性差の日本史』(→amazon)
他