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古墳時代の最強!雄略天皇は英雄か大悪か 意外とオチャメなところもあり〜の

雄略天皇二十三年(479年?)8月7日は、雄略天皇が崩御した日とされています。

「大悪天皇」
「有徳天皇」
という真逆の二つ名を持つキョーレツな存在感の御方です。

当時は年号の概念があいまいなため、西暦だといつ頃なのかはっきりしませんが、旧暦8月7日だったというのは確かなようです。

 


英雄か悪か 評価の真っ二つに分かれる傑物

雄略天皇は、先代であり同母兄の安康天皇が暗殺されたことに伴って即位しました。

この間に他の皇位継承者になりえる皇族を次々にブッコロしてしまったとか、目をつけた女性を別の人に取られたからといってまとめてピーしてしまったとか、その手のヤバイ話から「大悪天皇」という呼び名がつけられています。

しかし、まだ日本列島が統一されていなかったこの時代。
社会を形成する上で、その激しさは必要だったのかもしれません。

雄略天皇は各地にあった地域勢力を支配下に収めるべく、積極的に戦をしていきます。

戦なんて本当はないほうがいいんですけど、もしこの時代のまま=日本列島の中でいくつも小さな国がある状態がもっと長く続いていたら、その後どうなったかわかったもんじゃありません。

実際、考古学では雄略天皇の時代に
・北は東北
・南は九州の最南端
まで前方後円墳が広がっています。

埼玉県のさきたま古墳群の稲荷山古墳では、雄略天皇の名前「ワカタケル」(本文は漢字)と名前など115文字が金で書かれた剣が見つかっていて、国宝に指定されております。
熊本県でも同じ名前が彫られた剣が江田船山古墳から発見されました。

稲荷山古墳出土鉄剣/photo by Saigen Jiro wikipediaより引用

剣の中に記された115文字は、

ワカタケル大王(雄略天皇)に仕えたヲワケの功績(こうせき)などが記(しる)されており、我国の古代史を考える上で貴重な資料となっています。これらの遺物(いぶつ)は1983(昭58)年に国宝に指定され、さきたま史跡の博物館の国宝展示室に常時展示されています。(さきたま史跡の博物館HPより引用)

なんだそうです。
皆さん、夏休みに博物館へ足を運ばれてもよいかもしれませんね。

 


朝鮮半島への進出は失策だった

ただし、勢い余って三国時代だった朝鮮半島にまで手を出してしまったのは失策でした。

時代がかなり先ですが、イギリスの百年戦争同様、島国から大陸に進出してもそうは簡単にうまくいかないものです。
そのまま戦ばかりしていたら、いずれ雄略天皇自身が暗殺されていた可能性もあったでしょう。

そうならなかったヒントが、もう一つの二つ名「有徳天皇」にあります。

雄略天皇は、宋(中国南部にあった王朝)から織物に携わる職人たちを招いたり。
秦氏という渡来人の一族を集めて、養蚕業に携わらせたり。

国内の産業技術の発展に貢献しているのです。

朝鮮半島については再び戦をしようとはせず、一時衰退していた百済を復興させるための支援にとどめました。
まぁ、この辺だけ見れば「有徳」といえないこともない……でしょうかね。

この二つを併せて考えると、「目的のために手段を選ばない人」というのが近い感じがしますね。

 


どうだね名前を教えてくれまいか

意外なところでは、万葉集の最初に載っている歌を詠んだのが雄略天皇だとも言われています。
これです↓

こもよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に
菜摘ます子 家聞かな 名告らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて
我こそ居れ しきなべて
我こそ座ませ 我こそば 告のらめ 家をも名をも

【ざっくり訳】
おや、そこの籠とへらを持って菜を摘んでいるお嬢さん。
この国の全ては私が治めているんだが、どうだね名前を教えてくれまいか。
いやいや、私から名乗ろうか。

平安時代の貴族だと、男女が「会う」=「顔を合わせる」=「深い仲である」になりますが、雄略天皇の時代はもっとスゴイ。

ものすごく乱暴に言うと、名乗る=プロポーズです。

名前には言霊が宿っていると考えられており、それを教えるというのは非常に重要だとみなされていたのですね。

 

長氏や長宗我部氏にも通じてる?

現代語訳するとただのナンパに見えるかもしれませんね。

しかし、その辺を踏まえてこの歌の意味を探ってみると、雄略天皇は
「自ら菜を摘むような身分の低い娘でも、気に入れば召し出す」
という面があったということになるのではないでしょうか。

百済を支援したのも、秦氏に仕事を与えたのも、案外「気に入ったから」だったのかもしれませんね。

ちなみに秦氏からは戦国武将の長氏や長宗我部氏に血が続いているといわれています。

極端な話、雄略天皇が秦氏を保護しなければ長連龍よちょうつらたつのリベンジも、長宗我部元親の四国統一もなかったということになります。

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ついでにいうと、女系ながら、現在の皇室にも血が続いているとされています。

「血を残すことが君主の一番の仕事」と考えれば、ある意味、雄略天皇は「名君」に分類できるのかもしれません。

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稲荷山古墳

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
雄略天皇/wikipedia
やまとうた
さきたま施設の博物館


 



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