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白洲次郎 5つの名言に魂を揺さぶられる! 欧米よ、これが日の本の野蛮な紳士だ!

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以下4つの名言を続けて送らせていただきます。

・「この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった」

日本国憲法に関する発言です。

現在はこういう見方をする人も少し増えてきていますが、当時ほとんどの人はこうは思わなかったでしょうね。
直接交渉に当たったからこそ余計”押し付け”と感じたのでしょう。

・「私は“戦後”というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない」

「我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。
それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて“戦後”は終わったと自己満足してもよかろう」

時期がハッキリしない発言です。
1950年代に「もはや戦後ではない」といわれていたことに対する皮肉でしょうか。

「押し付けられたものを後生大事に戴いているうちはまだ”戦後”=戦争の影響から脱し切れていない」という意味でしょうか。

・「お嬢さんを頂きます」

結婚を申し込むため、夫人の正子さんの家へ行った際の発言とされています。

普通「ください」とお願いに行くところを、「頂きます」とまるで確定事項のように言ったというのがまた皮肉というかなんというか。

実にカッコイイ台詞ですので、プロポーズをご検討中の方は真似してみてはいかがでしょう。
緊張してるとカッコつかないかもしれませんが。

・「一緒にいないことだよ」

一つ前の発言と矛盾するようですが、面白いので載せておきましょう。

こちらは晩年、夫婦円満の秘訣を聞かれた際の回答だそうです。
友人でも夫婦でも“一緒にいすぎてダメになる”というケースは昔からあったんですねえ。

 

晩年は「冗談好きのお爺さん」とも認識されたりして

ついでに他の人から見た白洲はどうだったのか?
というと、これまたすげえなとしか言いようのない形容をされています。

「よく占領軍に楯ついていた」だの「ミスター拒否権」だの反抗ぶりに関するものが多いですが、中には故・辻井喬氏のように「自分の感じたこと・思ったことを飾らずに口に出して憎まれない人」と好意的な評価をしている人もいます。

まとめると
【言うときに言うべきことをハッキリ言うが、性根が悪いとかひねくれている人ではない】
ということでしょうか。

発言や評価について挙げ続けるとキリがないのでここまでにしておきますが、ご興味のある方はぜひ調べてみてください。

どの逸話からも一筋縄ではいかない人物であること、その聡明さに疑問の余地がないことが窺えます。
とはいえ、晩年については馴染みの店員に「冗談好きのお爺さん」と認識されていたなど、ただキツイだけの人ではなかったようですけども。

白洲自身は政治家になることはありませんでした。

が、このくらいガツンと言ってくれる人が議員や総理になってくれたらいいですよね。
主に領土問題とか。

長月 七紀・記

【参考】
白洲次郎/Wikipedia

 



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