歴史は基本的に過去を調べるものではありますが、現在も作られ続けるものでもあります。
2015年の3月2日――戦艦武蔵の沈没地点が発見されたとき、そのように感じた人も多かったのではないでしょうか。
長い間「この辺だろう」といわれ、ようやく見つかったのです。
2日に発見→3日に公式発表だったようなので、当コーナーでは2日の出来事として進めさせていただきます。
WW2 Battleship Musashi sank 1944 is FOUND > 1K M deep by MY Octopus Sibuyan sea, bow Chrysanthemum, huge anchor. pic.twitter.com/b9ZMA0icI8
— Paul Allen (@PaulGAllen) 2015年3月2日
※ポール・アレン氏が発見した、海底で眠る戦艦武蔵
ポール・アレン氏の財力と根性で発見!
武蔵といえば、ミリタリーファンでなくてもなんとなく聞いたことがあるような、旧海軍でも有名な船ですよね。
現在、沈んでいるのは、日本の領内ではなくフィリピンの内側にあるシブヤン海。皆さまお察しの通り、武蔵、最期の戦いが、フィリピン近海で行われたからです。
沈んでいるポイントは、武蔵の乗員を救出した船の記録や、乗務員による記録、地元民の口伝など、複数の説がありました。どれも大きく離れてはいませんでしたが、この海域は潮の流れが早く、なかなか特定できていなかったのです。
発見したポール・アレン氏ほどのお金と根性がなければ、たぶんずっと見つからなかいまま眠っていたのでしょう。
今も引き上げるかどうかという話が出ているようですが、費用や保存のことを考えると、おそらくそのままになるのではないでしょうか。
武蔵の姉妹艦・大和をはじめ、大多数の船が沈没地点から少しずれた位置に眠っています。
Musashi a few new discoveries today, including more Japanese writing, any translation help appreciated pic.twitter.com/RlnQriN2p6 — Paul Allen (@PaulGAllen) 2015年3月7日
※こちらがポール・アレン氏のツイート。カタパルトについて日本語で記されたマニュアルらしきものが映っている
戦時中、武蔵と大和の存在は知らされておらず
大和といえば某宇宙戦艦なアニメで知られます。
あの作品が作られた当時、元ネタの大和の沈没地点は不明だったのだそうで。
製作中か制作後に見つかって、スタッフがハンケチを噛むような思いをした……なんて、ホントかウソかわからない話もあります。
大和は今、日本の領海内である鹿児島県坊ノ岬沖の南方(徳之島西方)に沈んでいます。
なぜ、そんなところで沈んでいるのか? というと沖縄へ向かう途中だったからです。
海岸に船体を設置(擱坐)して、アメリカ軍の沖縄上陸を阻止する予定でした。
ところが、その途中で米軍に捕捉され、
・延べ1,000機による米軍機の空襲
・魚雷12本
・大型爆弾7発
・小型爆弾(無数)
を浴びて沈没します。
こちらもやはり引き上げるかどうかという話が出ましたが、巨大すぎる船体と費用の面から立ち消えになりました。
その代わり?に、旧海軍の施設が多かった場所であり、大和が建造された呉市に、大和ミュージアムこと「呉市海事歴史科学館」が作られています。
この例にならうとしたら、武蔵の引き上げができなくても、武蔵と縁が深い長崎に記念施設が作られるかもしれません。
他にも、沈没地点がはっきりしている船はいくつかあります。
同じ戦艦でいくと「長門」と「陸奥」でしょう。
実は戦時中、大和と武蔵の存在は国民に知らされておらず「日本軍の戦艦」といえば長門と陸奥でした。この二隻も姉妹艦です。
長門の最期はアメリカの核実験だった……
「長門」は、運用コストの高さや、その他諸々の理由であまり戦闘をさせてもらえず、終戦まで生き延びました。
それが祟って、戦後、太平洋のど真ん中でアメリカの核実験に使われてしまっています。
しかし、アメリカの監視がある時間帯にはかろうじて浮いており、監視がない深夜にひっそり沈んでいったのだとか。
船体に触れることはできませんが、すぐ近くまでダイビングできるため、人気スポットになっているそうです。
「陸奥」は、広島湾・柱島に停泊中、謎の爆発を起こし、やはりあまり戦闘をしないまま沈んでしまいました。
今でも原因はわかっていませんが、シゴキに耐え切れなかった乗員の手によるもの……というやりきれない説もあります。
さすがに一乗員でそこまでできるのか?という疑問はありますが。
海底から引き上げられ再利用された「梨」と「三笠」
「船は沈んだら終わり」
そんなイメージが強いですが、実は「沈んでから引き上げられて再利用された船」というのも、複数あります。
日本の例では、以下の二つが有名です。
・駆逐艦「梨」→警備艇「わかば」
駆逐艦「梨」は、1945年7月下旬に一度山口県で沈みました。
それから約9年後、船体の鉄を利用するため民間の会社によって引き上げられたところ、予想よりも状態が良かったので、「なら、もう一回使うわ」(超訳)と防衛庁が買い取っています。
「わかば」と名を改め、海上自衛隊の警備艇として使われました。
1971年にはお役目も終えて解体されました。
・戦艦「三笠」→三笠公園記念艦
旧海軍の船で、唯一そのままの形で残っているものです。
今は神奈川県の三笠公園で記念「艦」になっています。
日清戦争後、日本は海軍の拡張を計画しましたが、その時点ではまだ戦艦の建造技術がなかったため、イギリスの会社に発注しました。
日露戦争では連合艦隊旗艦(戦闘に参加する全ての船のリーダーみたいなもの)を務めています。クライマックス・日本海海戦の指揮を執る東郷平八郎たちの有名な絵がありますが、あれは三笠の船上を描いたものです。
しかし日露戦争後に爆発事故を起こしたため前線から退き、警備活動に従事することになりました。
さらに、関東大震災によって大きな被害を受けたため、そのまま廃艦になっています。
当時は軍縮条約で修理が難しいと考えられていましたが、三笠は連合艦隊旗艦=国の顔という面があったため、国民の人気も高く「戦闘に参加できないようなレベルの修理ならおk」という条件付きで修理されています。
その後、砲塔なども復元され、記念艦として保存されることが決まり、現在に至ります。
東郷平八郎が歩いた床板はそのまま残っているそうですよ。
こんな感じで、旧海軍の船はそれぞれの最期を迎えました。
しかし、旧海軍の船の中には、未だに所在がはっきりしないものもいくつかあります。
「信濃」と「畝傍」はドコへ消えたのか
消えた軍艦。
その代表例は「信濃」と「畝傍(うねび)」です。
「信濃」は和歌山の紀伊半島沖に沈んでいると見られ、あまりにも深度が深いため捜索が進んでいません。いつか深海に耐えうる調査船などが開発されたら、発見されるかもしれませんね。
「畝傍」については、そもそもいつどこに行ってしまったのか、全くわからなくなっています。
バミューダ・トライアングルを思わせる話ですが、最後に確認されたのは南シナ海あたりなので、海域のせいではなさそうです。その近辺で他に行方不明になった船もないあたりが、より一層謎に拍車をかけますね。
しかし、沈没場所が見つかれば見つかったで危険性もあります。かのタイタニック号も、沈没地点がはっきり公開されてから荒らされてしまったそうで。
特に、乗員と共に沈んだ場合は、静かに眠っていたほうが……そんな気がしないでもないです。
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【参考】
『戦艦大和&武蔵と日本海軍305隻の最期 (綜合ムック)』(→amazon)
武蔵_(戦艦)/wikipedia
大和_(戦艦)/wikipedia
三笠_(戦艦)/wikipedia










