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【海底に眠る旧海軍の軍艦】
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・駆逐艦「梨」→警備艇「わかば」
駆逐艦「梨」は、1945年7月下旬に一度山口県で沈みました。
それから約9年後、船体の鉄を利用するため民間の会社によって引き上げられたところ、予想よりも状態が良かったので、「なら、もう一回使うわ」(超訳)と防衛庁が買い取っています。
「わかば」と名を改め、海上自衛隊の警備艇として使われました。
1971年にはお役目も終えて解体されました。
・戦艦「三笠」→三笠公園記念艦
旧海軍の船で、唯一そのままの形で残っているものです。
今は神奈川県の三笠公園で記念「艦」になっています。
日清戦争後、日本は海軍の拡張を計画しましたが、その時点ではまだ戦艦の建造技術がなかったため、イギリスの会社に発注しました。
日露戦争では連合艦隊旗艦(戦闘に参加する全ての船のリーダーみたいなもの)を務めています。クライマックス・日本海海戦の指揮を執る東郷平八郎たちの有名な絵がありますが、あれは三笠の船上を描いたものです。
しかし日露戦争後に爆発事故を起こしたため前線から退き、警備活動に従事することになりました。
さらに、関東大震災によって大きな被害を受けたため、そのまま廃艦になっています。
当時は軍縮条約で修理が難しいと考えられていましたが、三笠は連合艦隊旗艦=国の顔という面があったため、国民の人気も高く「戦闘に参加できないようなレベルの修理ならおk」という条件付きで修理されています。
その後、砲塔なども復元され、記念艦として保存されることが決まり、現在に至ります。
東郷平八郎が歩いた床板はそのまま残っているそうですよ。
こんな感じで、旧海軍の船はそれぞれの最期を迎えました。
しかし、旧海軍の船の中には、未だに所在がはっきりしないものもいくつかあります。
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「信濃」と「畝傍」はドコへ消えたのか
消えた軍艦。
その代表例は「信濃」と「畝傍(うねび)」です。
「信濃」は和歌山の紀伊半島沖に沈んでいると見られ、あまりにも深度が深いため捜索が進んでいません。いつか深海に耐えうる調査船などが開発されたら、発見されるかもしれませんね。
「畝傍」については、そもそもいつどこに行ってしまったのか、全くわからなくなっています。
バミューダ・トライアングルを思わせる話ですが、最後に確認されたのは南シナ海あたりなので、海域のせいではなさそうです。その近辺で他に行方不明になった船もないあたりが、より一層謎に拍車をかけますね。
しかし、沈没場所が見つかれば見つかったで危険性もあります。かのタイタニック号も、沈没地点がはっきり公開されてから荒らされてしまったそうで。
特に、乗員と共に沈んだ場合は、静かに眠っていたほうが……そんな気がしないでもないです。
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長月 七紀・記
【参考】
『戦艦大和&武蔵と日本海軍305隻の最期 (綜合ムック)』(→amazon)
武蔵_(戦艦)/wikipedia
大和_(戦艦)/wikipedia
三笠_(戦艦)/wikipedia