豊川信用金庫事件

豊川信用金庫本店(2006年撮影)/photo by Lombroso wikipediaより引用

明治・大正・昭和

女子高生の一言で預金者たちがパニック!豊川信用金庫事件で起きた取り付け騒ぎ

人間誰しも一度くらいは、他人の噂話や悪口を言ってしまうことはありますよね。

仲間内で盛り上がるくらいならまぁ良いですけれども、巡り巡って本人に伝わったり、もっと深刻な事態を引き起こすことこともありまして……。

昭和48年(1973年)12月8日は、豊川信用金庫事件の元となった噂話が広まり始めたとされる日です。

比較的最近の話ですし、当時をご記憶の方もおられますかね。

また、後述する諸々の理由で、若い世代でも「それ聞いたことある」と思われるかもしれません。

あらためてこの事件の発端と収束をみていきましょう。

 


「銀行は危ないよ(強盗が来るかも)」

きっかけはごく日常の一コマでした。

とある女子高生・Aさんが豊川信用金庫への就職が決まり、友人たちに電車内でその話をしたのです。

当時は高卒で働く人もかなりの割合でいましたし、銀行となれば安定していると思われていましたから、それ自体は珍しくもなんともありません。

しかし、その友人たちが「銀行は危ないよ」と言ったことが、この事件の種となってしまいます。

友人たちにとっては【強盗が来るかもしれないから危ない】という意味の冗談だったのですが、真面目なAさんはその後、「豊川信用金庫の経営って危ないの?」と親戚に聞きました。

すると親戚もまた別の人に「あの銀行は危ないのか?」と聞き、いつしか「豊川信用金庫の経営が危ないらしい」という話にエスカレート。

大変だ!

と、ばかりに町のおっちゃんおばちゃんたちが井戸端会議で広めてしまい、「豊川信用金庫はもうすぐ潰れるから、すぐに預金を降ろさないと!」という噂が広まり、信じ込んだ人たちによって約20億円もの預金が一気に引き出されてしまいました。

当時の豊川信用金庫は預金残高約360億円でした。

そのうち引き出された約20億円は5%強ものお金になりますので、シャレになりません。

さらに噂が広まれば、銀行が潰れかねない事態でした。

当然、豊川信用金庫は「ただの噂なんでウチは大丈夫です」とコメントしますが、町の人達は「そんなの嘘に決まってる」と思い込み、

「職員の誰かが勝手に信金の金を使い込んだらしい」

「理事長が責任を感じて自殺したらしい」

といった悪質なデマまで流れ、パニックに拍車をかけることになります。

 


事態を重く見た日銀が動いてようやく鎮火する

一連の騒動を受けてマスコミも「デマだから大丈夫です」という報道を流しました。

しかし、ここまでいくとなかなか収まりません。

事態を重く見た日銀が豊川信用金庫に文字通り札束を積み上げ、さらに豊川信用金庫の理事長が自ら窓口で対応したことで、やっと騒ぎが収まる方向に向かったといいます。

その後、豊川信用金庫は無事に信頼を取り戻し、現在も営業を続けています。

騒ぎから二年後には預金が500億円を突破したとされていますので、まさに「人の噂も七十五日」というところでしょう。

ちなみに、1973年の事件は同行の沿革には書かれていません。そりゃ書きたくないですよね。

こういった「銀行が危ない」というデマや情報を元に、預金者が一斉に預金を引き出そうとすることを「取り付け騒ぎ」といいます。

豊川信用金庫以外でも例はありながら、この件が最も有名なのは、かなり前にバラエティ番組で再現VTRが流れたからでしょうかね。

私も見た記憶がありますし今でもYouTubeで見ることができますね。

 

話の流れが少々異なっていますが、全体的には変わらないので「こまけえこたあいいんだよ」ということで。

この再現VTRのクリーニング店主婦役の方が凄まじい演技力です。

豊川信用金庫事件は、当時の人の情報源の中で「ご近所同士の井戸端会議」や「噂話」がかなりの比重だったことを示す例と言えるでしょう。

また、悪い話ほど急速に広まる&大げさになる、そして「何度も同じ話を聞くと、真偽がわからなくても事実だと思いこんでしまう」例でもありますね。

そうした面から「デマが社会に与える影響」のモデルケースとして、心理学や社会学の研究対象になったことも知名度が高い理由かと。

インターネットが普及した現在、似たような経緯(デマ)が主原因となって、日本でこうした「取り付け騒ぎ」が起こることはほぼない……と言いたいところですが、「金融に関する不安が広まっていた際にデマメールが広まり、騒ぎになった」ことがあります。

それが佐賀銀行のチェーンメール事件です。

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