大正八年(1918年)7月22日は、現在「1918年米騒動」と呼ばれている一連の暴動事件が始まった日です。
のっけから物騒すぎますが、一体何がどうしてこんなことになったのか。
まずは「当時の日本人にとってお米がどんなものだったのか」をざっくりつかむところから始めましょう。
最近はあまりお米が好きではないという人も増えてきましたしね。
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エンゲル係数が今の2倍以上で60%!
当時の肉体労働者は、一日に米を一升=十合食べるのも珍しいことではありませんでした。
ここから半世紀ほど前の幕末には「西洋人に勧められて肉を食べたら、かえって疲れてしまった」という話もあるぐらいです。
米には炭水化物・たんぱく質・脂質の三大栄養素が含まれるので栄養的にも優れていますし、国内でたくさん採れるということでいいことづくしですから、理想的な主食といっても過言ではありません。
もちろん、白米の場合はかなり栄養が減ってしまうので、「白米だけ」で完璧な食事にはなりません。
もう一つは、当時のエンゲル係数です。収入に対する食費の割合のことですね。
大正時代のエンゲル係数は、平均してだいたい60パーセントくらいだったといわれています。ちなみに、現代では20~30パーセントほど。
ということは、ものすごく単純に考えると「大正時代の人は現代人の三倍食費がかかっていた」ということになりますよね。
実際には物価や給与などいろいろ理由があるのですが、とにかくお財布的にも栄養的にも、お米は今よりずっとずっと重要な食品でした。
では、どうして暴動が起きるほど値上がりしてしまったのか?
これまた乱暴にまとめると「政府の失策」です。
シベリア出兵で政府自ら買い占め
第一次世界大戦で一応は戦勝国側になった頃。
日本では農家を辞めて工業に従事する人が飛躍的に増えました。
農家では米以外の穀物を食べることも多かったのですが、元農家の人が転職した後に米を食べるように変化します。
「米の生産量が減ったのに、食べる人が増えた」という状態に突き進むのですね。
さらに当時は、シベリア出兵などの軍備の一環として、政府が米の買占めを始めたのだから最悪に間が悪い。
商人たちも、より高く買ってくれる政府に米を売りたいので、値段を上げてわざと庶民に買いにくくするのです。
ついでにこれを新聞各紙が「ホラホラまた米の値段が上がりましたよ! 政府は何をしてるんでしょうね!」(超訳)と書きたてたため、社会不安がどんどん高まります。
冷夏や不作ならまだしも、こんな経緯では全国のカーチャンが怒るのも無理からぬこと。
この時期の米相場のグラフがあるのですが、一言であらわすと「絶壁」もしくは「水墨画によく出てくる切り立った山」みたいな感じです。
平たく言うと「ふざけんな」レベルの高騰ぶりです。
大阪の堂島米会所における当時の米相場/photo by 赤井彗星 Wikipediaより引用
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