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【1918年米騒動】
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徐々にエスカレートして、もはや内戦
具体的に庶民の運動が始まったのは、富山県だったといわれています。
まず米屋や市役所へ嘆願する人々が現れ、徐々に全国へ広がると同時にエスカレートしていきました。
江戸時代からお馴染みの打ちこわしが始まり、取り締まりにやってきた軍に対し放火やダイナマイトで応戦する者が現れるなど、現代人の感覚からすると「内戦では……」とツッコみたくなるような場所もあったといいます。
場所によっては、小さな子供を連れた母親や、杖なしでは歩けないようなおばあさんまで参加したそうですから、本当に切羽詰った状況であったことは想像に難くありません。
一部では海軍の兵が加担したり、警察が市民に同情してわざと止めなかった……なんてこともあったとか。
食べてるものが同じなんですから、そういう人がいてもおかしくはありません。
故郷の家族を思い出した人もいたでしょう。
平民宰相の登場!
もちろん政府も、米の値段を下げるべく色々やっています。
しかし、すぐには効果が出ず、当時の内閣が解散。
代わって組閣したのが「平民宰相」とあだ名された原敬です。
この時代からイメージ戦略ってあったんですね。
近年の米騒動というと1993年の冷夏によるものがありますが、このときは1918年のような暴動は起きませんでしたね。
他に色々と食べ物はあって、米の必要性も薄れているので当然といえば当然でしょうか。
嬉しいことではありますが、飽食という問題から目を背けてはいけませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
1918年米騒動/Wikipedia