天は人の上に人を造らず学問のすゝめ

福沢諭吉/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

誰もが平等なんて言ってない「天は人の上に人を造らず」学問のすゝめ

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
「天は人の上に人を造らず」学問のすゝめ
をクリックお願いします。

 

むろん、家庭環境の不備によって勉強の機会を奪われてしまう人は今も昔も存在している。

彼らに対する救済措置のない社会は是正されてしかるべきだが、ともかく現実問題として、学問の習熟度が生活力に直結してしまう――それは、まさに現在の社会もそうであろう。

そう。

「天は人の上に」は、手放しの【平等論】ではない。

学問の重要性を説いており、その見識は今なお実際に継続しているのだ。

 

向上心無き者を許さない

福沢は、中津藩の下士で13石という低い身分の生まれだった。

福沢諭吉
勝や榎本にケンカを売った福沢諭吉~慶応創始者の正体は超武骨な武士

続きを見る

そして彼は確かに、生まれや男女の性別などにおける差別を否定している。

「生まれながらの貴賤上下に差別なく」

「抑(そもそ)も世に生まれたる者は、男も人なり女も人なり」

しかし、それはあくまで生まれながらの話であって、その後、勉強をした人と、しなかった人との間に生じた貧富の差までは言及していない。

むしろ、それが現実であるという認識だ。

完全な平等主義といえないことは、別の著書『福翁百話』でもうかがえる。

『福翁百話 現代語訳 (角川ソフィア文庫)』(→amazon

そこで福沢は、人を「最上等」「中等」「最下等」の3種にわけている。

ランクに応じて人を3種類に分けるなんて、現代ならばトンデモナイ!と憤る方もいるだろう。

 

「公私両様の為めに力を尽くすもの」

福沢が分けたランキング。

これは貧富や貴賤の生まれなどを示したものではない。

以下の通りである。

◆最上等……活発に働き、家にも世にも処し、「公私両様の為めに力を尽くすもの」

◆中等……「この世に有りて大に益するに非ず、無くて大に不自由を覚ゆるに非ず」というべき者

◆最下等……屈強の身体を有しながら、他人の厄介になるばかりで時に他を害して欲を逞しくする者

要は、潜在能力を持ち、チャンスがあったにもかかわらず、社会や人の役に立とうとしない向上心の低い人間を嫌ったのである。

福沢は、自分自身が身分の低い地位から欧米で実学を学び、地位や名誉を高めていった。

それだけに勉強をしない者には容赦がない。

現代は、明治時代と比べて、格段に多くのチャンスが転がっている。

まずは自分で動き、次世代へ繋げていくことが大切であろう。

あわせて読みたい関連記事

福沢諭吉
勝や榎本にケンカを売った福沢諭吉~慶応創始者の正体は超武骨な武士

続きを見る

福翁自伝
エリートどころかロックだなっ!福沢諭吉の『福翁自伝』が超骨太

続きを見る

大隈重信
生粋の武士だった大隈重信は右脚失いながら政治と早稲田85年の生涯

続きを見る

川和二十六・記

【参考】
福沢諭吉『福澤諭吉著作集第3巻学問のすゝめ』(→amazon
平山洋『福澤諭吉』(→amazon
福沢諭吉事典編集委員会『福沢諭吉事典』(→amazon
福澤諭吉/齋藤孝『現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)』(→amazon

TOPページへ

 



-明治・大正・昭和

×