学制・教育令・学校令

学制/国立教育政策研究所より引用

明治・大正・昭和

教育システムに苦しんだ明治政府の四苦八苦~学制と教育令と学校令

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学校令~英語を日本の国語にすべき

明治19年(1886年)には、教育令が「学校令」と総称されるいくつかの法律に切り替わりました。

初代文部大臣・森有礼(もり ありのり)が、欧化政策急進派の中でもかなり過激だったことが大きく影響しています。

どのくらいかというと「英語を日本の国語にすべき」と言っていたほどです。

アメリカの言語学者に「それはやめたほうがいい」と言われて引き下がっていますが、そうでなければどうだったか。

まあ、欧米人からすれば「自分のアイデンティティをしっかり主張すべきなのに、なんで日本人はそれを否定して欧米人と同じものを持とうとするのか」と思ったのでしょう。

しかし、2022年現在、ここまで英語が世界のスタンダードとなり、日本の英語教育が他国に比べて遅れまくっているとなると、森有礼の考えもあながち間違いじゃなかったような……。

学校令は一つの法律ではなく、以下の4つの法律をまとめて呼んだものです。

・小学校令
・中学校令
・帝国大学令
・師範学校令

特に小学校令では「子供に教育を受けさせるのは両親の義務である」という点が明記されました。

ただし、病気や家計の困窮・その他やむを得ない事情がある場合には、期限付きで就学猶予も認められています。

こうして紆余曲折の末、明治30年代には男女ともに小学校就学率が90%を超えるようになりました。

 

教育勅語~法律ではなく当初はスローガン

さて、明治時代+教育といえば【教育勅語】もよく挙げられますね。

正式には、明治二十三年(1890年)に明治天皇の名で出された「教育ニ関スル勅語」です。

これは本来、法律ではなくスローガンに近いものだったのですが、天皇の神格化に伴って、実質的には法律同様、あるいはそれ以上に重視されるようになりました。

内容についてはさまざまな訳や解釈がありますが、かいつまんでみると

・日本は古くから続いてきた

・それは皇室だけでなく、国民みんなが協力してやってきた成果である

・だから今後もお互いに信じあってきちんと仕事をして、国を続けていこう

・これは古今東西に通じる考えである

ということが文語体で少々難解に書かれています。

原文では「務め」とか「奉仕」、「有事の際には身を挺して国を守るべき」といった内容も入っていて、もっと強制感もあるので、その辺が最近は議論の的になっていますね。

もっと詳しく知りたい方は、原文や現代語訳にあたってください。

歴史を学ぶ意義は、過去を罵倒するためではなく、現在や将来のためにどこをどう捉えるか、と考えるためかな、と。

ともすれば洗脳にも使えてしまう教育。

今の時代に必要なのは、個人の興味や資質に応じて伸ばしていくことだ――とは、よく指摘されますが。

もし私の時代にそれが叶っていたのなら、月曜から金曜まで、毎日4時間ぐらいは歴史の授業に当てたかったなぁ。後は給食で帰宅、みたいな……ダメ?

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「学制」「教育令」「教育勅語」
文部科学省:学制百年史(→link

【TOP画像】
国立教育政策研究所より引用(→link

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