誰か?って、そうです、夏目漱石さん。
病弱だった――なんて話を皆さん聞いたことがありましょうか。
調べてみるとこれが結構なものでして、大正5年(1916年)12月9日に亡くなるのですが、死因と無関係ではありません。
さっそく本題へ参りましょう。
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天然痘や虫垂炎、トラコーマなど既往歴も激しく
漱石は明治維新の前年、慶応3年(1867年)1月5日の江戸生まれ。
3歳時に天然痘にかかり痘痕(あばた)が顔に残りました。
出だしからヘビーです。
漱石の写真は左向きで右頬を隠したポーズが有名ですが、実はこれ痘痕を隠しているため。お見合い写真でも、その部分を修正するなど、かなり気にしていた模様です。
病弱だった漱石は、大学予備門に在学中、虫垂炎のため試験を受けられず留年。この頃、トラコーム(伝染性の角膜炎)にもかかっています。
その後、東京帝国大学を卒業し、高等師範学校の英語教師となりましたが、そこで肺結核を発症し、さらに近親者の死も重なり神経質衰弱となります。
いったん、ここまでの病歴をマトメてみましょう。
◆既往歴
3歳 天然痘
19歳頃 虫垂炎、トラコーマ
25歳頃 肺結核、神経衰弱
現代より栄養状態の良くなかった当時にしても、なかなか病弱な方でした。
話を進めます。
飼い主の珍野苦沙弥は、まんま漱石です
明治33年、漱石は文部省の命令でイギリス留学をします。
その間、神経衰弱はさらに進行し、『漱石発狂』の噂が流れたため予定より早めに帰国。
帝大と一高で教鞭をとることになりましたが、お堅い授業は不評で、叱責した学生が入水自殺という中で精神衰弱は悪化していきます。
そんな時、知人から「小説を書くと気晴らしになり精神衰弱に良い」と勧められ、処女作『吾輩は猫である』(→amazon)を執筆しました。
漱石37歳、遅咲きの作家デビューです。
当初、吾輩は猫であるは1回読み切り予定で、俳句雑誌『ホトトギス』に掲載されました。
しかしこれが、予想を超える大好評。
結果、全11回の連載作品となるなど、まるで「ジャンプの読み切り漫画が好評で新連載開始」ってな感じでありました。
『吾輩は猫である』は、主人公の猫から見た人間観察がキモであります。
猫の飼い主は「珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)」で、中学校の英語教師。性格は偏屈なくせにノイローゼ気味で胃弱と、まるで漱石自身のことが描かれております。
そして小説の中では胃腸薬を飲む、こんなシーンが。
彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色たんこうしょくを帯びて弾力のない不活溌ふかっぱつな徴候をあらわしている。
その癖に大飯を食う。大飯を食った後あとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。
これが彼の毎夜繰り返す日課である。(『吾輩は猫である』夏目漱石)
ここに出てきた『タカジヤスターゼ』が胃腸薬なんですね。
成分は唾液などに含まれる消化酵素『アミラーゼ(ジアスターゼ)』で、でんぷんを糖に分解し、炭水化物の消化を助けます。ダイコンやカブなどにも多く含まれています。
タカジアスターゼは明治27年に麹菌からジアスターゼを抽出した「高峰譲吉」が、自分の名字から『タカ』をとり命名し特許取得をしました。
そして胃腸薬、消化剤として市販され、胃もたれや胸焼けの薬として使われたのです。小説だけでなく、漱石も実際にタカジアスターゼを使っていたそうです。
ちなみに今でも薬局で買えますので、漱石に憧れている方は、食後にどうぞ♪
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