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【夏目漱石】
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京大のポストも蹴り 職業作家として生きるが
処女作以降、『倫敦塔』『坊ちゃん』と立て続けに作品を発表した漱石は一躍、人気作家となります。
そして明治40年、全ての教職を辞めて朝日新聞社に入社し、職業作家としての道を歩みはじめました。
このときなんと京大教授ポストも蹴っているんですよ! モッタイナイ。
ところがところが……わずか3年後の明治43年6月、漱石は『門』の執筆中に胃潰瘍で入院し、その2ヶ月後、療養に訪れていた修善寺で800gの大量吐血をして生死の境をさまよいます。
おそらく胃潰瘍からの出血でしょう。
漱石は何度も胃潰瘍での入退院院を繰り返し、痔や糖尿病にも悩まされました。
甘いものが大好物だったそうなので、作家業のストレスものしかかって、摂取量もいきおい増えたのかもしれません。
そして大正5年、知人の結婚式で消化に悪いピーナッツを食べ、胃潰瘍が再発。
12月2日、排便の力みを契機に昏倒し、1週間後の12月9日に帰らぬ人となりました。
死の翌日、病理解剖が行われ、『胃潰瘍からの大量出血による失血死』と認められました。
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医療の進歩で死の病ではなくなった
胃潰瘍は、胃酸分泌と粘膜保護作用のバランスが崩れた際に起こります。たいていは粘膜保護作用の低下が原因ですけどね。
またヘリコバクター・ピロリ菌も胃潰瘍の発生に関与しています。
防御因子が弱まったところが胃酸にさらされると、そこの粘膜が傷み、欠損。自覚症状としては『胃の不快感や痛み』があります。
潰瘍が深くなるとそこから出血しますし、更に進むと胃に穴が開く(穿孔)ことも。
太い血管に穴が開いた場合は大量出血につながり、その出血は命に関わりますので手術が大原則でした(残念なことに日本初の胃潰瘍手術は漱石の死から2年後)。
わざわざ「でした」という表現を使ったのは昭和57年に登場した「胃酸を抑える薬」により胃潰瘍出血が激減し、今では殆ど手術をしなくてすむようになったからです。
現在は、さらに違う種類の胃薬や、ヘリコバクター・ピロリの除菌療法、内視鏡をつかった止血術もあり、胃潰瘍での死亡は大幅に減少しています。
漱石が作家として活動したのは約12年間。
もしも今の胃薬がその時代にあれば、もっともっと多くの作品が読めたことでしょう。
ただし、本気で生死をさまよったからこそ、珠玉の作品が数多残されたとも考えられるでしょうし……うーん、難しい。
イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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文&イラスト・馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
夏目漱石/wikipedia
子育て情報e-いくじ(→link)
吾輩は猫である/青空文庫
消化性潰瘍/wikipedia
アミラーゼ/wikipedia
消化性潰瘍/MSD
潰瘍に外科治療は必要なくなったか/e-clinician
夏目漱石の胃潰瘍はピロリ菌の仕業/日本オムバス
長年苦しんだ“胃の病”で死去 夏目漱石(胃潰瘍)/脳出血で倒れて…
胃潰瘍の外科手術/胃潰瘍の治療法
胃潰瘍・十二指腸潰瘍/astellas