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白木屋デパートの火災で和装の女性店員に起きた悲劇
こうして女性にも洋装が少しずつ広まり、和装はいわゆる「晴れ着」としての役割になりました。
ただし、全ての女性が洋服を常用していたわけではありません。
関東大震災では、和装だったために逃げ遅れた女性も多かったといわれています。
また、昭和七年(1932年)に起きた白木屋デパート火災での悲劇もそれを示しています。
有名な話なので、ご存知の方も多いでしょうか。
「白木屋で大きな火災が起き、高層階の女性店員が和装で下着をつけていなかったため、恥ずかしくて飛び降りることができずに亡くなってしまった」というものです。
この話自体は、諸々の点を考えて否定する向きのほうが強いのですが、これが都市伝説以上の信憑性を持って語られるようになったのは、おそらく当時「和装の店員」が珍しくなかったからなのでしょう。
アニメ『サザエさん』でも、主人公のお母さんは基本的に和装でしたよね。
あれは元々連載していた時期(大体1946年~1974年ごろ)が舞台だったためですね。
和装はもちろん素晴らしいですし、もう少し着る機会が増えてもいいと思う反面、人混みの中では危ないこともあります。
ワタシも以前トーハクに行った際、背後にいた和服の女性に気づかず、足を踏んでしまったことがあります。もちろんきちんと謝罪しましたが、ムッとした顔でそのまま立ち去られてしまいまして……(´・ω・`)
上野周辺ではたびたび和装の方を拝見しますので、気をつけたいですね。むろん、上野以外でも、人が多い場所では当然ですが。
もしかすると、昭憲皇太后もそんなトラブルをうまくオブラートに包んで「和服は女子の活動を制限する」という言い回しをしたのかもしれませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
黒岩比佐子『明治のお嬢さま (角川選書)』(→amazon)
米窪明美『明治宮殿のさんざめき (文春文庫)』(→amazon)
国史大辞典
昭憲皇太后/Wikipedia
洋服/Wikipedia
白木屋 (デパート)/Wikipedia