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【佐久間勉と第六潜水艇沈没事故】
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死が迫る中、今起きていることを克明に記録
艇内の光景は、誰もが目を疑うものでした。
なぜなら日常そのもの。乗組員は全員が持ち場で任務に就いている状態でこと切れておりました。
表情には苦痛の色こそ見えたものの、今にも動き出すのではないかと思われるほど自然な姿をしていたと言われます。
艇長の佐久間大尉は、事故発生後の経過と、その考えられる原因とをノートに克明に記録、後の技術革新に大きく寄与したと言われています。
ノートは、着底から2時間後の午後12時40分の記録で終わっていました。
が、時間の経過とともに字体は乱れ、判然としない文字も増え、深刻な酸欠状態に陥っていたことを窺わせます。
気化ガソリンと二酸化炭素で意識が朦朧としている旨の記述からも裏付けられます。
しかし、彼らは、狭い艇内で、迫りくる死の恐怖と戦いながら最期まで自棄に陥ることなく、死の瞬間まで冷静に任務を全うしようとしておりました。
世界各国の海軍資料館に収められ
その姿は、日本だけでなく、世界各国からも驚嘆と畏敬の念を以て受け取られ、佐久間艇長以下の彼ら乗組員に対して、惜しみない賛辞が贈られます。
責任感とは、結局のところ、自らに課された使命を命がけで全うする決意なのかもしれません。
海難事故で我先にと逃げ出す船長の報道などを見かけることがありますが、全乗組員たちが、ほんの僅かな責任感を行動にするだけで、事故の規模は縮小される可能性があります。
現在も、佐久間艇長のノートは生きています。
広島県江田島の海上自衛隊教育参考館を始めとして、世界各国の海軍の資料館に収められ、彼らの責任感を私たちに伝え続けているのです。
書物にもなっており、これを機に一度ご覧いただいてもよろしいかもしれません。
船と直接関係のない生活だとしても、彼らから学ぶものは小さくないでしょうから。
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【参考】
足立倫行『死生天命―佐久間艇長の遺書』(→amazon)
藤本仁『佐久間艇長の遺書と現代」』(→amazon)