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【教育勅語】
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戦時中には都合よく解釈を曲げられ
小学校などではこれを箇条書きにして「12の徳目」として書いていることも多かったようです。
意味がほとんど同じなので省略しますが、どちらにせよ現代にも通じるというか、現代こそ大切にしないといけないんじゃないかと思う点が多いですよね。
いや、文中にある通り、古今東西まず間違いのないことといったほうが正しいでしょうか。
この勅語は明治二十三年(1890年)に公表され、内容の通り、教育の基本として各地の学校で掲示・奉読されました。
戦時中には朝鮮半島や台湾などでも用いられています。
同時に軍国主義にとって都合の良い解釈がつき、悪用もされてしまいました。
そのため、例によって第二次世界大戦の敗北に伴い、さまざまなものが廃止されたとき、教育勅語も排除されてしまっています。
まぁ、天皇からの言葉であるというだけで、GHQからすれば「こんなモン残してるってことは、まだ天皇を中心に軍事行動を起こすつもりかもしれん」と思えたのかもしれませんね。
現代人からすると「アンタら、さんざん日本列島を焼き尽くしておいて、まだ疑うんか」という感じですが。
日本側も日本側で、マズイ部分だけうまく削って書き直せば良かったものを、全て撤廃してしまったがために、本来の目的である「良い人を育てる」ということまでが、どこかへ行ってしまったような気がします。
教育勅語のように、戦前・戦中のものだからというだけで排除されてしまったものの中には、本当は時代やイデオロギーなどとは関係なく役立つものもあるのかもしれませんね。
せっかく温故知新という四字熟語もあることですし。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
教育ニ関スル勅語/wikipedia